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ジャヌカン『鳥の歌』 [Janequin]

■Ensemble Clément Janequin Clément Janequin: Le Chant des Oyseaulx
harmonia mundi france HMC 901099(輸入盤・廃盤)

HMC901099f.JPG


【演奏】
ドミニク・ヴィス指揮
クレマン・ジャヌカン・アンサンブル

ドミニク・ヴィス(CT)
ミッシェル・ラプレニー(T)
フィリップ・カントール(BR)
アントワーヌ・シコ(BS)
クロード・ドゥボーヴ(LUTE)

【演奏者】
クレマン・ジャヌカン・アンサンブルは、1978年に、ドミニク・ヴィスにより結成されたフランスの声楽アンサンブル。男声合唱中心のアンサンブルで、何度かメンバーの交代を経つつ、クレマン・ジャヌカンはじめフランス・シャンソンの演奏、録音で高い評価を得ており、ディアパゾン・ドールなど受賞歴も数多い。主要なレパートリーは、イタリア、ドイツを含めたルネサンス期の世俗音楽および教会音楽である。
ドミニク・ヴィスは、パリ・ノートルダム大聖堂聖歌隊員を経て、ヴェルサイユ音楽院でオルガンとフルートを学んだ。カウンターテナーのアルフレッド・デラーに師事した後、1979年にレザール・フロリサンの結成に加わり、ウィリアム・クリスティのもとで研鑽を積んだ、いわゆる「クリスティ星雲」のひとりである。
ドミニク・ヴィスはバロック・オペラのカリスマ的なカウンターテナーとして人気が高く、日本でも頻繁に公演を行っている。また、ソロリサイタルでは、マショーからダウランド、シューベルト、マスネ、サティ、プーランク、ベリオ、武満徹に至るプログラムを披露するなど、近現代の音楽への取り組みにも意欲的である。

【曲目】
クレマン・ジャヌカン(Clément Janequin, c.1485–c.1558)『鳥の歌』
1. 『鳥の歌:Le Chant des Oyseaulx』
2. 『夜ごとあなたは:Toutes les nuictz』
3. 『私は希望を持って時を待つ:J’atens le temps』
4. 『その昔、娘っ子が:Il estoit une fillette』
5. 『悲しいかな、それははっきりしたもの:Las on peult juger』
(ギヨーム・モルラーユのリュート編曲を含む)
6. 『ある日コランは:Ung jour Colin』
7. 『ああ、甘い眼差し、上品な言葉よ:O doulx regard, o parler』
8. 『ひばりの歌:Le chant de l’alouette』
9. 『もしもロワール河が逆流しても: Quand contremont verras』
10.『ああ、わが神よ、あなたの怒りは:Hellas mon Dieu ton ire』
11.『私の苦しみは深くない:Ma peine n’est pas grande』
12.『ああ、愛の苦しみよ:O mal d’aymer』
13.『草よ、花よ:Herbes et fleurs』
14.『盲目になった神は:L’aveuglé Dieu』
15.『この美しい5月に:A ce joly moys de may』
16.『満たされつつも:Assouvy suis』
17.『とある日、さるひとが私に言うに:Quelqu’un me disoit l’aultre jour』
18.『ある朝私はこれまでになく早く起き:M’y levay ung matin』
19.『私の愛しいひとは神の贈り物を授かっている:M’Amye a eu de Dieu』
20.『うぐいすの歌:Le chant du rossignol』

録音: 1982年7月、ラジオ・フランス106スタジオ。
ハルモニア・ムンディ社のカタログに長く掲載されていた上記のロングセラー盤は廃盤となり、2009年にXRCDとして復活した。


【作曲者】
クレマン・ジャヌカン(Clément Janequin, c.1485–c.1558)は、フランスの聖職者、作曲家。ジャヌカンの前半生については不明の点が多いが、フランス中部シャテルローに生まれ、当時の慣例に倣って、シャテルローの教会で少年聖歌隊員となり、音楽教育を受けたと考えられている。史実として明らかなのは、1505年に、ボルドー司教総代理(1515年リュソン司教)であるランスロ・デュ・フォー(Lancelot du Fau)のもとでジャヌカンが聖職者見習いとなり、1523年あるいは1529年にランスロ・デュ・フォー司教が亡くなるまで、ボルドーの地で僧職についていたことである。
ジャヌカンは、ランスロ・デュ・フォー司教が亡くなった後、ボルドー近在の小さな教会の助任司祭等を転々としたと見られ、1534年にはアンジェ大聖堂付属聖歌隊の教師となり、聖歌隊員の指導にあたるかたわら、多数のシャンソンを作曲した。
この間、作曲家としては、1528年に、パリの楽譜出版業者ピエール・アテニャン(Pierre Attaignant)により、『鳥の歌』を含むジャヌカンの最初の作品集が出版された。また、1530年には、フランス国王フランソワ1世のボルドー訪問を歓迎して作曲された4声のシャンソン、『歌おう、鳴らそう、トランペットを(Chantons, sonnons, trompettes)』が出版された。1530年代以降もアテニャン等によりジャヌカンの作品集が出版されたことで、作曲家としての名声は高まったものの、1537年にはアンジェ大聖堂を離れざるを得なくなるなど、聖職者としては不遇で、生涯を通じて経済的困難に悩まされ続けた。ジャヌカンにはアンジェ在住の兄弟シモンがいたが、従兄弟からの借金を返済できなかったのが原因で諍いとなり、家族とは絶縁状態に陥ったと見られている。
アンジェ大聖堂の職を辞してからパリに移住するまでのジャヌカンの足取りについても、確かなことはわかっていないが、聖職者としてよりよいポストにつくため、アンジェまたはパリで学位取得を目指し大学に学んだ形跡があるようである。ジャヌカンは、1548年に詩人ピエール・ド・ロンサールの兄弟、シャルル・ド・ロンサールの助力を得て、ユンヴェールの助任司祭となり、1548年から1549年頃にパリに移住した。ジャヌカンがエラスムスやクレマン・マロ、ラブレーらのパトロンとして知られたロレーヌ枢機卿の庇護を受けたのも、この頃のことと推測されている。1550年あるいは1552年には、ジャヌカンは、ロレーヌ枢機卿の実兄で、ユグノー戦争においてカトリック勢力の中心であったギーズ公フランソワの礼拝堂楽長となった。
ジャヌカンは、1555年、フランス国王アンリ2世より王室礼拝堂の王室聖歌隊常任歌手に任ぜられ、1558年には国王の常任作曲家の称号を授与された。国王の常任作曲家の称号は、ピエール・サンドラン(Pierre Sandrin, c.1490–c.1561)に次ぐ史上二人目の栄誉であったが、フランスの宮廷によるジャヌカンの召し抱えは些か遅きに失したようである。1558年1月、ジャヌカンは、無報酬で身辺の世話をしていた家政婦と慈善事業とにそのわずかな財産を遺贈する内容の遺言書を作成しており、その後間もなく世を去ったと見られている。
ジャヌカンは、晩年、宗教曲の作曲に傾注し、プロテスタントであるカルヴァン派のメロディを取り入れたことが知られている。しかし、ジャヌカンの主要作品といえば、やはり『鳥の歌』に代表されるようなフランス語による世俗歌曲、シャンソンであり、残されたシャンソンは宗教曲を上回る250曲余に及んでいる。オノマトペ(擬音語、擬態語)を多用した描写的な音楽であるジャヌカンの作品は、フランス国外でも注目され、1547年頃にはニコラ・ゴンベール(Nicolas Gombert, c.1495-c.1560)の編曲とされる『鳥の歌』がアントワープで出版されている。ジャヌカンは、当時としても異色のキャリアをたどった人物であり、聖職者、宮廷作曲家として確固たる地位を築くには至らず、また、その死を悼む挽歌を作曲する者すらなかった。しかし、生前から単独の作品集が国内外で数回にわたり編集・出版され、同時代のフランスの詩人ジャン・アントワーヌ・ド・バイフ(Jean Antoine de Baïf,1532.2.19- 1589.9.19)が作品集に賛辞を寄せたことからも窺われるように、当時非常に人気のある作曲家のひとりであったと言える。


【作品】
クレマン・ジャヌカンは、16世紀フランス・ルネサンス最大のシャンソン作曲家であり、現存する作品には、ミサ曲2曲、モテトゥス1曲、宗教的シャンソン約120曲、世俗シャンソン約250曲などがある。聖職者、教会音楽家でありながら、その作品の多くを宗教曲ではなく世俗曲が占めるという作曲家のありようは、ジャヌカンのみならず、フランスの同時代人であるクロード・ド・セルミジ(Claude de Sermisy, c.1490-1562)や、ピエール・セルトン(Pierre Certon, ?-1572)等にも共通するものである。
中世からルネサンス期のイタリアで発展したイタリア語の世俗歌曲がマドリガーレ(マドリガル)と呼ばれるのに対して、フランドル地方を含むフランス語圏で発展したフランス語の世俗歌曲は、一般にシャンソンと呼ばれる。シャンソンは、11世紀頃に単旋律歌曲から発展したとされているが、ルネサンス期にフランドル楽派の影響を受け、次第にポリフォニックな傾向を強め、15世紀には3声、16世紀前半には4声の作品が多く見られるようになった。13世紀頃からは、バラード、ロンドー、ヴィルレの歌曲定型によるシャンソンが主流となり、15世紀には、ブルゴーニュ公国を中心に、宮廷風の愛を主題とした多声シャンソンや宗教的シャンソンが作曲された。
15世紀末頃からは、ロワゼ・コンペール (Loÿset Compère, c.1445-1518.8.16)や 、ジョスカン・デ・プレ(Josquin des Prez, c.1450/1455- 1521.8.27)等によって、伝統的な歌曲定型を離れた、自由形式によるシャンソンが作曲されるようになった。16世紀前半には、ジョスカン・デ・プレの確立したとされる通模倣様式の作曲技法が広まるとともに、フランス語のイントネーションを音楽のリズムに生かし、拍子を頻繁に変化させるなどした、舞曲風の親しみやすい旋律を強調したシャンソンが作曲されるようになった。これらシャンソンは、教養ある宮廷人や上流階級向けに作曲されたものであったが、歌詞の内容には、当時台頭してきた市民階級の生活感情が多く反映され、軽妙洒脱で活気に満ち、ときに猥雑な庶民の生活を描写した作品や風刺的な作品も多く見られるようになった。16世紀後半には、詩人のクレマン・マロ、ピエール・ド・ロンサールらの格調高い詩に作曲した作品も多く見られるようになるが、ジャヌカンの作品は、パリのアテニャン等により出版されたことで、同時代の作曲家たちに大きな影響を与えた。
ジャヌカンの代表作のひとつである『鳥の歌』は、『狩り(La Chasse)』、『戦争 (La Guerre : La bataille de Marignan)』等とともに、1528年にアテニャンの出版した最初の作品集におさめられている。ジャヌカンは、シャンソンにおける描写にオノマトペ(擬音語、擬態語)を取り入れた作曲家のひとりであり、4声のシャンソン『鳥の歌』でも、オノマトペによって鳥のさえずりが表現されている。『鳥の歌』は、三大定型詩のひとつであるロンドーの詩形に則って、通模倣様式で作曲されており、鳥のさえずりを模した冒頭のモチーフの反復的な展開は、言外に性的な意味合いを含ませたものである。ニコラ・ゴンベール編曲とされる3声の『鳥の歌』には、ジャヌカンのオリジナル作品よりさらに技巧に洗練が加えられているが、ジャヌカン作品の魅力は、その擬音効果や巧妙な装飾、フランス語の抑揚を生かしたリズムなどの技巧面もさることながら、独特のユーモアとエスプリが自在に発揮されている点にある。また、ジャヌカンの作品には、『この美しい5月に』など抒情的で美しい小品も多く、『盲目になった神は』は、晩年にパロディ・ミサとして転用されている。


【歌詞】

◇『鳥の歌』仮訳(新倉俊一氏訳文、山崎庸一郎氏訳文等を参照)

Réveillez vous cueurs endormis,
さあ起きて、眠っている心よ
Le dieu d'amours vous sonne.
愛の神が呼んでいるよ

A ce premier jour de may
この5月の最初の日に
Oyseaulx feront merveilles.
鳥たちは素晴らしく歌うだろう
Pour vous mettre hors d'esmay,
あなたを悩みごとから解き放つために
Destoupez voz oreilles.
耳を澄ませてよくお聞き
Et farirariron ferely joly,
そらファリラリロン フェリリ ジョリ
Vous serez tous en joye mis,
みんな楽しくなるよ
Chacun s’i habandonne.
みんな大いにやってごらん


Vous orrez a mon advis
きっと聞こえるだろう
Une doulce musique,
甘くやさしい歌の調べが
Que fera le roy mauvis
ワキアカツグミの王様の 
D’une voix autentique.
真の歌声が
Ti ti pity, chou thi thouy
チィ チィ ピチィ シュ ティ トゥイ
Tu que dy tu, que dy tu
何を言ってるの、何のお話
Le petit sansonnet de Paris
パリのかわいいホシムクドリさん

Le petit mignon
かわいい雄鳥さん
Q’est la bas passe villain
あそこを通るのは誰だい、悪いやつ
Saincte teste Dieu.
聖なる神様の頭にかけて
Il est temps d’aller boyre
飲みに行く時間だよ
Guillemette Colinette,
ギユメット、コリネット
Sus, ma dama, a la messe Saincte Caquette qui caquette.
さあ、ご婦人、おしゃべりな聖カケットのミサに行きましょう 
Au Sermon ma maistresse,
お説教を聞きに、愛しいひとよ
A Saint Trotin voir Saint Robin,
聖ロバンに会いに聖トロタンへ
Monstrer le tétin le doulx musequin.
乳房を見せに、 やさしい音楽家さん


Rossignol du boys joly,
美しい森のうぐいす(小夜鳴き鳥)は
A qui la voix résonne,
その歌声を響かせる
Pour vous mettre hors d'ennuy,
あなたの物憂さを晴らすために
Vostre gorge jargonne.
あなたの喉はさえずり歌う

Frian frian frian…
フリァン フリァン フリァン…
Tar tar tar…tu velecy velecy
タル タル タル…トゥ ヴェルシィ ヴェルシィ
Ticun ticun …tu tu coqui coqui…
ティクン ティクン…トゥ トゥ コキィ コキィ…
Qui lara qui lara ferely fy fy
クィ ララ クィ ララ フルリ フィ フィ
Teo coqui coqui si ti si ti
テオ コキィ コキィ スィ チィ スィ チィ
Oy ty oy ty…trr. Tu
ウィ ティ ウィ ティ…トゥルル トゥ
Turri turri…qui lara
トゥリ トゥリ…クィ ララ
Huit huit…oy ty oy ty…teo teo teo…
フゥィ フゥィ…ウィ ティ ウィ ティ…テオ テオ テオ…
Tycun tycun…Et huit huit…qui lara
ティクン ティクン…エ フィ フィ…クィ ララ
Tar tar…Fouquet quibi quibi
タル タル…フゥケ クィビ クィビ
Frian…Fi ti…trr. Huit huit…
フリァン…フィ チィ…トルル フゥィ フゥィ…
Quio quio quio…velecy velecy
クィオ クィオ クィオ…ヴェルシィ ヴェルシィ
Turri turin…Tycun tycun ferely fi fi frr.
トゥリ トゥリ…ティクン ティクン フルリ フィ フィ フゥルル
Quibi quibi quilara trr…
クィビ クィビ クィララ トゥルル…
Turi turi frr…Turi turi vrr.
トゥリ トゥリ フルル…トゥリ トゥリ ヴルル
Fi ti Fi ti frr. Fouquet fouquet.
フィチィ フィチィ フルル フゥケ フゥケ

Fuiez regretz pleurs et souci,
消え去っておくれ、後悔、涙や心配ごとは
Car la saison est bonne.
だって季節がこんなにいいのだから


Arriere maistre coqu,
引っ込んでおいで、かっこうの旦那
Sortez de no chapitre,
わたしらの集まりから出てお行き
Chacun de vous est mal tenu
みんながあんたに気を悪くしてる
Car vous n'estes qu'un traistre.
だってあんたはただの裏切り者だからさ
Coqu, coqu, coqu…
かっこう、かっこう、かっこう…

Par trahison en chacun nid
騙して、ひとの巣に 
Pondez sans qu’on vous sonne.
誰にも呼ばれてないのに卵を産むんだから


Réveillez vous cueurs endormis,
さあ起きて、眠っている心よ
Le dieu d'amours vous sonne.
愛の神が呼んでいるよ



【関連動画】

◆アンサンブル・クレマン・ジャヌカン クレマン・ジャヌカン:『鳥の歌』



【関連サイト】
◆IMSLP ペトルッチ楽譜ライブラリー http://imslp.org/wiki/
クラシック音楽の楽譜が無料でダウンロードできるサイト。日本語解説あり.


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