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『モンセラートの朱い本』 [Codex]

■Llibre Vermell de Montserrat Cantigas de Santa Maria
ALLA FRANCESCA [OPUS 111 OPS 30-131](輸入盤・廃盤)

OPS30131f.JPG

【演奏】
エマニュエル・ボナルド
ピエール・アモン
ブリジット・レーヌ他
アラ・フランチェスカ

【演奏者】
アラ・フランチェスカは、1989年にアンサンブル・ジル・バンショワのメンバーによって設立された中世音楽アンサンブル。中心的なレパートリーは、イタリア・スペインの中世音楽である。アンサンブル・メンバーのエマニュエル・ボナルドは、オブシディエンヌ、ブリジット・レーヌは、女声アンサンブル、ディスカントゥスも主宰しており、いずれも高い評価を得ている。アラ・フランチェスカは、OPUS111のほか、現在Zig Zag-territoriesで録音を行っている。

【曲目】
◇『ウェルガス写本』より
1.『低灌木によせて (In virgulto gracie)(器楽演奏)』

◇アルフォンソ10世(賢王)『聖母マリアのカンティガ集』より
2.『何と栄えある (Tanto son da groriosa)(器楽演奏)』(聖母マリアのカンティガ集第48番)
3.『イエス・キリストの御母( A Madre de Jhesu-Cristo)』(聖母マリアのカンティガ集第302番)
4.『夜も昼も (Mui grandes noit’e dia)』(聖母マリアのカンティガ集第57番)

◇『ウェルガス写本』より
5.『汚れなきカトリック教徒よ (Casta catorica)(器楽演奏)』

◇『モンセラートの朱い本』より
6.『おお、輝く聖処女よ (O virgo splendens)』(3声のカッチャ)
7.『輝ける星よ (Stella splendens in monte)』(ヴィルレー)
8.『処女なる御母を讃えん / 笏杖もて輝ける御身 (Laudemus virginem / Splendens ceptigera)』(3声のカッチャ)
9.『七つの喜び (Los set gotxs)』(バラータ)
10.『声をそろえ歌わん (Cuncti simus)』(ヴィルレー)
11.『あまねき天の女王よ (Polorum regina)』 (ヴィルレー)
12.『喜びの都の女王 (Imperayritz de la ciutat joyosa)』(2声のモテトゥス)
13.『処女なる御母、マリアを讃えよ (Mariam, matrem virginem)』(ヴィルレー)
14.『喜びの都の女王 (Imperayritz de la ciutat joyosa)』(2声のモテトゥス)
15.『七つの喜び (Los set gotxs)』(バラード)
16.『われら死をめざして走らん (Ad mortem festinamus)』(死の踊り / ヴィルレー)

録音:1994年11月、フォントヴロウ王立修道院
『ウェルガス写本』及び『聖母マリアのカンティガ集』作品をあわせて収録。聖母マリアのカンティガ集第48番は、モンセラートの聖母が修道士に泉の水を恵んだという奇蹟、第302番は、モンセラートの聖母がその聖堂内で盗みを働いた者を聖堂の外に出さなかったという奇蹟、第57番は、モンセラートへの巡礼路で、聖母が泥棒を悪業から救ったという奇蹟を主題としており、いずれもモンセラートの聖母に捧げられた作品である。
OPUS111は、ERATOのプロデューサー、エンジニアであったヨランタ・スクラが1990年に創設したレーベル。「音楽は商業ではなく、芸術」というコンセプトに基づき、優れた録音を次々と世に出し、新しいアーティストの発掘にも積極的に関わったが、創設者の引退に伴い、最終的にレーベルの活動を停止、2000年に諸権利がnaïve社に売却された。廃盤化されたOPUS111レーベルの音源再発の見通しは、残念ながら依然として不透明であるが、アラ・フランチェスカ『聖母マリアのカンティガ集』(OP30308)などは、Naxos Music Libraryで聴けるようになっている。

◆Naxos Music Library 
http://ml.naxos.jp/album/OP30308


【作品】
『モンセラートの朱い本(Llibre Vermell de Montserrat)』は、スペイン東部のカタルーニャ州、バルセロナ郊外のモンセラート修道院に伝わる14世紀の写本。
写本が生まれたモンセラート修道院の成り立ちからたどると、モンセラートとはギザギザな山を意味するカタルーニャ語に由来する地名であり、その名前の通り、淡紅色の礫岩の峰々がのこぎりの歯のように並ぶ奇怪な景観で知られる。ベネディクト会のモンセラート修道院は、1023-1027年頃、その岩山の南東、標高725mのマロ渓谷の岸崖を切り開いて建立された。
伝承によれば、50年頃に、聖ルカがエルサレムで彫刻したとされる木彫の聖母像がスペインにもたらされ、その後イベリア半島を支配したイスラム教徒による破壊から守るため、718年に現在のモンセラート修道院近くの聖なる洞窟(サンタ・コバ, Santa Cova)に隠された。880年のある土曜日の晩、羊飼いの少年たちが、上空からまばゆい光が妙なる調べとともに降りてきて、モンセラートの山腹に留まるのを目撃した。羊飼いの少年たちとその両親は、次の土曜日にも同じ光景を目にした。その土曜日毎の不思議な光景は、数週間にわたり続き、その話を伝え聞いた麓の町マンレサの司祭が立ち会い、調べたところ、洞窟から聖母像が発見された。ところが、司祭が発見された聖母像をマンレサまで降ろそうとすると、聖母像が重たくなり、どうしても動かすことができなかった。司祭は、聖母像をその地にとどめることこそ聖母の意思と考え、その地に聖母像を安置する聖堂を建立することにしたと伝えられる。
おおよそこのような伝承に基づき、9世紀末までには、モンセラートの山腹と山麓に4つの礼拝堂が献堂された。同じ頃、モンセラート山には、隠修士が多数集まって、思索と瞑想の生活を送っており、彼ら隠修士が修道院の基礎をなした。イスラム教徒からの失地回復を果たしたバルセロナ伯によって、モンセラート山とそれらの礼拝堂がカタルーニャ北部のサンタ・マリア・デ・リポイ修道院に寄進されると、1023-1027年頃、同修道院長オリヴァ(Oliva de Cerdanh)が、山腹のサン・イスクラ礼拝堂と隣接した場所に、サンタ・マリア・モンセラート修道院(以後、モンセラート修道院と略)を建立した。
やがて、聖母像をめぐる様々な奇蹟が知られるにつれ、モンセラートには多くの巡礼者が訪れるようになり、聖母マリア信仰の地モンセラートは、聖地サンチャゴ・デ・コンポステラと並びスペインの二大巡礼地に数えられるに至った。1409年に、教皇ベネディクト13世により、独立した修道院として認められたモンセラート修道院は、カタルーニャ地方の宗教文化の中心ともなり、1499年にはスペインで最初の印刷機が導入された。イエズス会の創始者イグナティウス・ロヨラ等も1522年にモンセラート修道院に滞在した記録が残されている。1592年にはバシリカ聖堂が献堂されたが、1811年、1812年のナポレオン戦争では、モンセラート修道院は要塞とされたために略奪の対象となり、修道院の建物や貴重な古文書類も、放火により、ほぼ灰燼に帰した。
現在では、修道院の庭に残るサン・イスクラ礼拝堂以外の礼拝堂は失われたが、聖母像は、ナポレオン戦争中も山内に隠されて難を逃れ、何度も修復を重ねながら、サンタ・マリア・モンセラート修道院付属大聖堂に祀られ、広く信仰を集め続けている。19世紀には、ラナシェンサと呼ばれるカタルーニャの文学・文化・政治復興運動との結びつきのもとに、モンセラート修道院が再建され、1880 年に修道院創立推定一千年祭が祝われた。1881年には、教皇レオ 13 世より、モンセラートの聖母がカタルーニャの守護聖人に加えられ、聖母像が戴冠された。
モンセラートの聖母像は、モンセラートの聖母マリア信徒団に関する1223年の記録、聖母像の発見にまつわる伝承を記した1239年の古文書の存在などもあり、実際には12世紀から13世紀頃の制作と考えられている。その黒褐色の外見から、ラ・モレネータ(la Moreneta, 黒い女の子)の愛称で親しまれているロマネスク様式の聖母像は、約95cm(38インチ)で、南フランスの聖人像がモデルとなった可能性も指摘されている。2001年に、スペイン政府が専門機関に委託して行った調査の結果、聖母像は、蝋燭の炎や煙の影響で、元来は白木地のポプラ材に施された塗料のニスが酸化し、黒褐色に変色したものと結論づけられた。この研究ではまた、聖母像の塗装が18世紀初頭の修復時を最後に行われていないことも判明している。
しかし、ケルト系の影響が残るヨーロッパ中西部などを中心に、人為的に黒く彩色された聖母子像が450体あまり存在していることもあり、モンセラートの黒い聖母子像は、エジプトのイシスなど異教の地母神信仰がキリスト教の聖母マリア信仰と一体化したものではないかとする見方も根強くある。モンセラートは、紀元前1世紀頃ケルト系民族が移動してきた土地でもあり、聖母像発見をめぐる伝承も、聖なるものは自然に宿るとして、大樹や巨岩、洞窟等を聖地として崇拝したケルトの古代信仰との関連を伺わせる要素を含んでいることは否定できない事実である。なお、モンセラートは、アーサー王の聖杯伝説に登場する地としても知られる。
本題の『モンセラートの朱い本』は、1811年のナポレオン戦争の前に、バルセロナの文学アカデミー会員であったフランスのリオー侯爵(Marquis de Lio)がモンセラート修道院から借り出していたため焼失を免れた手写本で、19 世紀に赤いベルベットの装幀が施されたことからその名で呼ばれている。『モンセラートの朱い本』は、1862年のモンセラート修道院再建から23年後の1885年、リオー侯爵の遺族の手で修道院に返還された。
現在、モンセラート修道院の図書館に保管されている『モンセラートの朱い本』は、172頁のフォリオのうち32頁分が失われており、本来、収録されていたと見られる14曲中、現存しているのは10曲のみとなっている。これら10曲からなる歌曲集に収められているのは、聖地モンセラートを世に知らしめ、モンセラートの聖母を讃える内容の歌詞を持つ宗教的な作品で、13世紀から14世紀のスペインで作曲されたと思われるが、いずれも作者は不詳である。モンセラートの聖母の奇蹟を主題とする作品は、13世紀にカスティーリャ国王アルフォンソ10世(賢王)の編纂した『聖母マリアのカンティガ集』にも、5曲が収録されているが、こちらも同じく作者不詳である。
モンセラート修道院には、13世紀に創立された、ヨーロッパ最古の少年聖歌隊のひとつエスコラニア少年聖歌隊が併設されており、現在も全寮制の修道院付属校で学ぶ少年達が典礼時に演奏活動を行っている。しかし、1399年頃に編纂されたとされる『モンセラートの朱い本』の特徴は、それが典礼用のものではなく、無名の編者が記しているように、モンセラート巡礼者たちが有名な黒い聖母像を讃え、聖堂の広場などで歌い踊るためのものであったことにある。
名高い巡礼地モンセラートには、スペインだけでなく、西欧、南欧の各地から、膨大な数の巡礼者が訪れたが、巡礼者たちは、最終目的地に到着した高揚感から聖堂やその周辺で聖地にふさわしからぬ世俗的な歌を歌ったり踊ったりする傾向があり、それが修道院側に問題視されたのである。そこで、モンセラート修道院では、巡礼者たちの歌ったり踊ったりしたいという欲求を禁じることなく、同時にまた、修道士たちの学究や祈りと瞑想の生活が巡礼者たちにより妨げられないよう、聖地にふさわしい歌曲集を編纂して、巡礼者たちがお行儀よく敬虔な歌を口ずさむことができるようにした。そのため、この歌曲集には、宗教的な詩文に、主として14世紀の民謡や世俗曲のスタイルを取り入れた、素朴で力強く、美しい旋律を持った曲が収められることになった。『モンセラートの朱い本』の収録曲にはまた、賛歌の特徴が残されているほか、アルス・ノヴァの音楽やアラブ音楽からの影響が感じ取れるといわれる。
ほとんどの歌詞はラテン語で書かれているが、一部にカタルーニャ語とオック語が用いられている。多くの曲は単旋律歌曲であるが、2声から3声の多声曲もあり、『おお、輝く聖処女よ』、『処女なる御母を讃えん』、『笏杖もて輝ける御身』の3曲は、カノンとして歌うことができる。また、『あまねき天の女王よ』、『輝ける星よ』、『七つの喜び』の3曲は、円陣を組んで踊ることを前提に作曲されたものと見られる。なお、『われら死をめざして走らん』については、イベリア半島東海岸にあるバレンシア州、モレリャのサン・フランシスコ修道院の参事会室のフレスコ画に描かれた、バレンシア語の歌詞、楽譜との一致が確認されている。
『モンセラートの朱い本』には、これまで複数の全曲録音があるが、その魅力的な歌曲のいくつかは単独でも頻繁に録音されている。


【歌詞】

◇『おお、輝く聖処女よ(O virgo splendens)』仮訳(英語訳より重訳)

O virgo splendens hic in monte celso
おお、燦然と輝ける聖処女よ、この高き山の上に
Miracuulis serrato fulgentibus ubique
輝ける奇蹟とともにいまし
Quem fideles conscendunt universi.
あまた信者の登るところなり
Eya, pietatis oculo placato
ああ、御身の慈悲深き目で見そなわし給え
Cerne ligatos fune peccatorum;
罪の縄目に捕われし者たちを
Ne infernorum ictibus graventur
彼らを地獄の苦しみにより破滅させ給うことなかれ
Sed cum beatis tua prece vocentur.
御身のとりなしによりて、祝福されし者とともにあらしめ給え


【関連動画】
◆Alla francesca: O virgo splendens


◆Alla francesca: Stella splendens in monte


◆Alla francesca: Cuncti simus


◆Alla francesca: Laudemus virginem - Splendens ceptigera


◆Alla francesca: Mariam matrem virginem


◆Alla francesca: Ad mortem festinamus



【その他の録音】
・Jordi Savall(dir.) Hesperion XX “Llibre Vermell de Montserrat. A fourteenth century pilgrimage” [VIRGIN VERITAS VER 5 61174-2] (1979)


・Ensemble Unicorn “The black Madonna-Music from Llibre Vermell & Cantigas de Santa Maria” [NAXOS 8554256](1998)

・Carles Magraner(dir.) Capella de Ministrers “Llibre Vermell de Montserrat” [LICANUS CDM-0201](2001)
・Christophe Deslignes(dir.) Choeur de chambre de Namur, Psallentes, Les Pastoureaux, Millenarium “Llibre Vermell” [RICERCAR RIC 260] (2007)


【参考リンク】
◆『モンセラートの朱い本』写本画像
http://www.lluisvives.com/servlet/SirveObras/jlv/12037282889047518532735/index.htm
◆Choral Public Domain Library (ChoralWiki)
http://www2.cpdl.org/wiki/index.php/Llibre_Vermell_de_Montserrat
『モンセラートの朱い本』を含め、合唱音楽の楽譜を無料ダウンロードできるサイト(英語)


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