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ビクトリア:『死者のための聖務曲集(オフィチウム・デフンクトルム)』<レクイエム> [Victoria]

■Tomás Luis de Victoria: Officium Defunctorum
Philip Cave(dir.) magnificat [LINN RECORDS CKD060](輸入盤)



【演奏】
フィリップ・ケイヴ指揮マニフィカト
マニフィカトは、指揮者のフィリップ・ケイヴにより、1991年に設立された声楽アンサンブル。フィリップ・ケイヴは、
聖歌隊を経て、オックスフォード大学で音楽学を学ぶ。フィリップ・ケイヴは、タリス・スコラーズの創立メンバーの一人であり、オックスフォード大学、ケンブリッジ大学の卒業生を中心とするメンバーの多くも、マニフィカトだけでなく、タリス・スコラーズやザ・シクスティーン等で活動している。マニフィカトは、演奏曲目に応じ、4声から40声の構成をとっており、主要レパートリーは、16,、17世紀のルネサンス、バロック期の音楽である。ビクトリアのレクイエムの演奏では、グラモフォン誌推薦盤他に選ばれた。「端的に言うならば、タリス・スコラーズが『心に』呼びかけるのに対し、マニフィカトは『魂に』訴えかけ、『体を』揺さぶる」というのが『古楽CD100ガイド』(2000)の演奏評
で、日本では、タリス・スコラーズ盤、ザ・シクスティーン盤、マニフィカト盤をビクトリアのレクイエムの三大名演とする評価も散見される。

マニフィカト公式サイト
http://www.magnificat

【曲目】
トマス・ルイス・デ・ビクトリア
『死者のための聖務曲集』
録音: 1995年11月 ロンドン、ハムステッド セント・ジュード・オン・ザ・ヒル教会
LINNは、音響機器メーカーのLINNにより設立されたレーベル。音源数はまだそう多くはないが、録音には定評がある。


【作曲者】
トマス・ルイス・デ・ビクトリア(Tomás Luis de Victoria, 1548-1611.8.27)は、16世紀スペイン黄金期の作曲家。
トマス・ルイス・デ・ビクトリア(以下、ビクトリアと略)は、1548年に、フランシスコ・ルイス・デ・ビクトリアとフランチェスカ・スアレス・デ・ラ・コンチャ夫妻の第7子として、スペイン中央部の古都、アビラ近郊に生まれた。イエズスの聖テレジア(アビラの聖テレサ)の生地として知られ、現在、世界遺産に登録されているアビラの街は、16世紀頃には、人口一万人余の中規模都市で、手工業、商業を中心に栄えた。
アビラの博物館で発見された文書によれば、ビクトリアの父方の祖父、エルナン・ルイス・ダビラは、仕立屋を営む傍ら、生地を商う裕福な商人で、レオノール・デ・ビクトリアと結婚し、7人の子宝に恵まれた。
ビクトリアの父、フランシスコ・ルイス・デ・ビクトリアは、その長子で、父の事業を継承するとともに、公証人を務めており、1540年に、フランチェスカ・スアレス・デ・ラ・コンチャと結婚、11人の子をもうけた。ビクトリアの母、フランチェスカ・スアレス・デ・ラ・コンチャもまた、セゴビアで織物業に携わる裕福な家庭の出身であった。
アビラの博物館が所蔵するビクトリアの祖父、エルナン・ルイス・ダビラの遺言状には、家屋敷等不動産を含め、夫妻の総資産の約三分の一を長子フランシスコ・ルイス・デ・ビクトリアに譲るとあり、1545年にエルナン・ルイス・ダビラ夫妻が相次いで亡くなった後も、ビクトリアの一家が経済的に恵まれた生活を送っていた様子が伺える。
しかし、1557年、ビクトリアが9歳のときに、父フランシスコ・ルイス・デ・ビクトリアが亡くなり、一家の暮らしは一変した。
ビクトリアは、1557年ないし1558年に、アビラ大聖堂少年聖歌隊員であった縁者の紹介で、アビラ大聖堂少年聖歌隊員となったと見られ、アビラ大聖堂で、ベルナルディーノ・デ・リベラ(Bernardino de Ribera, 1520-1572)等から音楽教育を受けた。過去にはセゴビア大聖堂でバルトロメ・デ・エスコベド(Bartolomé de Escobedo, c.1500-1563.8.11)に師事したとする説もあったが、それを裏付ける史料は見つかっていない。
ビクトリアはまた、オルガニストとして、早くからその才能を発揮していたことが知られており、アビラのイエズス会系の男子校聖ジルで音楽の基礎を学んだ可能性も指摘されている。ビクトリアは、アビラ大聖堂オルガニストのベルナベ・デル・アギラ(Bernabé del Águila)にオルガンを学んだが、アビラには、著名な作曲家兼オルガニストのアントニオ・デ・カベソン(Antonio de Cabezón, 1510.3.30 -1566.3.26)が1560年まで居住しており、1552年と1556年には公開演奏も行っていることから、ビクトリアがアントニオ・デ・カベソンの実演に触れるなり、個人指導を受けるなりした可能性も残されている。
ビクトリアは、1565年頃に、スペイン国王フェリペ2世より奨学金を下賜され、ローマに留学。ローマでは、イグナチティウス・ロヨラが創設したイエズス会の学院コレギウム・ジェルマニクムで、音楽、神学、ラテン語を学んだ。
イエズス会は、外国人留学生を受け入れるコレギウム・ジェルマニクムと、地元の学生を対象としたコレギウム・ロマーヌムの二学院を運営していたが、ビクトリアがコレギウム・ジェルマニクムに留学した当時、コレギウム・
ロマーヌムでは、“教会音楽の父”ジョバンニ・ピエルルイジ・ダ・パレストリーナ(Giovanni Pierluigi da Palestrina, c.1525-1594.2.2)が後進の指導にあたっていたことから、ビクトリアは、パレストリーナに学んだ可能性が高いと考えられている。ビクトリアがパレストリーナ様式の影響を受けていることは、その音楽スタイルから明白であるというのがその論拠のひとつである。
また、パレストリーナとビクトリアの直接的なつながりを示す史料こそ発見されていないものの、ビクトリアがコレギウム・ロマーヌムに在籍していたパレストリーナの長男ロドルフォ、次男アンジェロと面識があったことや、1594年2月3日のパレストリーナの葬儀にビクトリアが参列していたことは、当時の記録から明らかで、その師弟関係を裏付ける有力な状況証拠と見なされている。
ビクトリアは、1569年1月、コレギウム・ジェルマニクムを卒業後、ローマでスペイン、アラゴン王家所縁のサンタ・マリア・ディ・モンセラート教会で、歌手兼オルガニストを務めた。1571年には、コレギウム・ジェルマニクム楽長に就任。同年に、コレギウム・ロマーヌム楽長に迎えられた。パレストリーナの後任として、コレギウム・ロマーヌム楽長にビクトリアを推薦したのは、他ならぬパレストリーナ自身との説もある。
翌1572年には、ビクトリアの最初のモテット集がヴェニスで出版された。このモテット集は、ビクトリアのパトロンであったアウグスブルク大司教オットー・トルフゼス・フォン・ヴァルトブルク枢機卿(Otto Truchsess von Waldburg,1514-73)に捧げられたものである。1573年には、サンタ・マリア・ディ・モンセラート教会以外にも、聖三位一体教会等で、歌手を務めた。しかし、1575年、教皇グレゴリオ8世の命により、コレギウム・ジェルマニクムがサンタ・ポリナーレに移転すると、ビクトリアは、コレギウム・ジェルマニクム所縁のサンタ・ポリナーレ教会楽長をも兼務することとなり、職務多忙のため、サンタ・マリア・ディ・モンセラート教会の歌手兼オルガニストは、辞職を余儀なくされた。
ローマで順調に活躍の場を広げていったかに見えるビクトリアだが、音楽家としての成功は必ずしも当人の望むところではなかったらしく、聖フィリッポ・ネリのオラトリオ信心会への入会を経て、1575年8月28日、トーマス・ゴールドウェル司教より、司祭に叙階された。1578年には、コレギウム・ジェルマニクムを辞職し、オラトリオ信心会の運営するサン・ジロラモ・デラ・カリタ教会の司祭に転じた。
ビクトリアは、この間にも、『マニフィカト集』(1581)、『第二モテトゥス集』(1583)、『第二ミサ曲集』(1585)、『聖週間の聖務曲集』1585)といった作品集を次々と出版した。ビクトリアの作品集は、イタリア、ドイツ、スペインで出版され、いずれも高評価を得た。しかし、ビクトリア自身は、スペイン国王フェリペ2世に献呈した『第二ミサ曲集』の序文において、作曲活動に疲れたと心情を吐露しており、カトリックの聖職者として、母国スペインに戻りたいとの希望を表明している。
スペイン国王フェリペ2世にその願いが聞き届けられ、スペイン、マドリードのラス・デカルサス・レアレス修道院に隠遁したマリア皇太后付き司祭にビクトリアが任命されたのは、1587年のことであった。
ラス・デカルサス・レアレス修道院は、1559年に、スペイン国王フェリペ2世の妹で、ポルトガル王太子妃であったフアナ・デ・アウストリア(Juana de Austria, 1535.6.24-1573.9.7)によって創立された。創立者の両親にあたる神聖ローマ皇帝カール5世、イザベラ皇后の宮殿を転用した修道院は、16世紀から17世紀にかけ、富裕な貴族の未亡人等が修道女として集まり、寄進を重ねたこともあり、当時、その財政の豊かさにおいてはヨーロッパ随一であった。
ビクトリアの仕えたマリア・デ・アウストリア(Maria de Austria, 1528.6.21-1603.2.26)は、やはりスペイン国王フェリペ2世の妹で、ラス・デカルサス・レアレス修道院を創立したフアナ・デ・アウストリアの姉にあたり、従兄弟である神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世(Maximilian II, 在位:1564-1576)の皇后、神聖ローマ皇帝ルドルフ2世、マティアスの母であった。マリア皇太后は、マクシミリアン2世の崩御後、1582年にスペインに帰国し、五女のオーストリア大公女マルガレータ・フォン・エスターライヒ(Erzherzogin Margaretha von Österreich, 1567.1.25-1633.7.5)とともに、聖クララ修道会の運営するこの修道院で余生を送っていたのである。
ビクトリアは、1587年にスペインに帰国し、マリア皇太后付き司祭としてラス・デカルサス・レアレス修道院に奉職した。実質的に楽長を兼務するかたちであり、周囲からも楽長と見做されていた面があった一方、ビクトリアは、楽長職の俸給を受けたことはないと自ら書き残しているが、修道院での待遇は、ローマの楽長時代と比べ、幾分恵まれたものであったとみられ、マリア皇太后付き司祭の聖職給年120ドゥカートのほか、修道院に隣接した司祭館が住まいとして提供された。修道院側は、ビクトリアの海外出張にも寛容で、1593年頃には、作品集の出版にあたって、監修のため、ローマを再訪するという理由で、約二年間の有給休暇も認められた。ビクトリアは、まさにこのローマ滞在時に、パレストリーナの葬儀に参列することになったものと見られ、1595年のスペイン帰国後は、国外に出ることはなかった。
ビクトリアは、私生活では、1591年に、姪のイサベル・デ・ビクトリアの名付け親を務めたほか、姉や甥と交流の機会を持ったことが知られている。ビクトリアはまた、1592年、1600年に、マドリードで作品の出版活動を行った。ビクトリアは、通常の出版契約(200部)外で予め増刷をかけておき、一定期間が経過した後に、増刷分を自由に販売する方法でも報酬を得ていたといい、そのあたりの事情は詳らかでないが、ビクトリアの出版作品の購入先は、主に教会、大聖堂や諸侯等で、新大陸のスペイン領にもその作品が伝えられていった。ビクトリアのもとには、セヴィリア大聖堂やサラゴサのラ・セオ大聖堂といったスペインの有名大聖堂から楽長職の招聘があったが、ビクトリアは、そうした招聘をすべて辞退し、マリア皇太后付き司祭の職務を全うした。
マリア皇太后が1603年に崩御した後、ビクトリアは、ラス・デカルサス・レアレス修道院のオルガニストを務め、
1611年8月27日に63歳で亡くなるまで、同修道院を離れることはなかった。ビクトリアは、自らの死期が近づいていることを悟ったのか、スペイン国王フェリペ3世に後任人事を願い出、1611年7月2日、弟子のペレ・ド・メドラノが後継者として正式に指名されたのを見届けた後程なく、司祭館で世を去った。ビクトリアの遺骸は、葬儀もなくひっそりと修道院内に埋葬されたが、現在、その墓所は不明という。


【作品】
ビクトリアは、16世紀スペイン黄金期を代表する作曲家のひとりであり、ルネサンス後期最大の教会音楽作曲家のひとりと見なされている。
ビクトリアは音楽史上、ラッススやパレストリーナの後継者と位置づけられることが多いが、膨大な数の作品を残したラッススやパレストリーナと比較すれば寡作で、世俗作品は一切残さず、宗教作品のみに徹した。
ビクトリアは、ローマ滞在中、スペイン人のフランシスコ・ソト・デ・ランガ(Francisco Soto de Langa, 生年不詳-1619)や、イタリア人のジョバンニ・アニムッチア(Giovanni Animuccia, c.1520- c.1571.3.20)等の音楽家と交流があったことが知られており、世俗曲に基づくモテットやパロディ・ミサも多く作曲した。また、音楽家というより聖職者としての後半生を選択したビクトリアだが、朗らかで親切な人柄であったとの同時代人の証言を裏付けるかのように、通常マドリガーレに多用される音画技法等を用いた、マドリガーレを思わせる作風の宗教作品も残している。
1587年のスペイン帰国後には、専らグレゴリオ聖歌を定旋律に用いた作品を残したが、器楽を用いた作品や、ヴェネツィア楽派が特徴としたような分割合唱のための作品もあり、ラス・デカルサス・レアレス修道院には、1601年以降常任のバスーン奏者が配置されていた。同修道院ではまた、歌手を務める聖職者12名、少年聖歌隊員4名(1600年以降は6名に増員)が日常的な演奏活動を行っていたことが知られている。
ビクトリアの作品は、伝統的でありながらスペイン的な神秘性を融合させた、力強く、情感の深い作風としばしば評され、その透明な響きに満ちたポリフォニー技法には、パレストリーナ様式の影響が認められる。技巧面から見ても、過度に技巧を追求することなく、シンプルな旋律線を主軸としながら、16世紀の厳格対位法においては禁則とされていた上行する長6度音程や、臨時記号のついた減4度音程等を随所に用い、感情表現の一助としていることなどに特徴が窺える。また、司祭であったビクトリアがポリフォニー音楽をめぐるトレント公会議の決定に則り、聴衆がラテン語歌詞を聞き取りやすいようにする作曲上の工夫を凝らしていたことは言うまでもない。
ビクトリアの代表作としては、『聖週間のためのレスポンソリウム』と、『死者のための聖務曲集』(オフィチウム・デフンクトルム)があげられる。ビクトリアは、1583年と1605年に、いわゆるレクイエムを作曲しているが、1605年の『死者のための聖務曲集』に収められた「レクイエム」(Missa pro defunctis)は、1583年作曲の4声のレクイエム(1592年改訂)を下敷きに作曲されたものとみられ、グレゴリオ聖歌の旋律を第2ソプラノに置き、ソプラノ2声、アルト、テノール2声、バスから編成されていることから、6声のレクイエムとして区別されることも多い。1605年の『死者のための聖務曲集』(6声のレクイエム)は、ビクトリアの最高傑作であり、数多あるレクイエムのなかでも屈指の名作と評されている。それだけに、同曲異盤も少なくない。
この『死者のための聖務曲集』(6声のレクイエム)は、マリア皇太后の崩御に際し作曲された作品である。マリア皇太后は、1603年2月26日に崩御し、聖クララ修道会の規則に則り、崩御から三日後に、ラス・デカルサス・レアレス修道院内の墓所に棺が納められた。1603年3月18、19日、ラス・デカルサス・レアレス修道院でトレド大聖堂の歌手らも加わった追悼式が行われた後、1603年4月22日、23日に、スペイン国王フェリペ3世、大公女マルガリータ等をはじめとする王侯貴族を迎え、マドリードの聖ペテロ&聖パウロ教会で、マリア皇太后の葬儀(追悼式)が行われたが、ビクトリアの作品は、この国葬ともいうべき葬儀(追悼式)の場で演奏されたものである。
ビクトリアは、その生涯に全11巻の作品集を刊行したが、1605年にマドリードで出版された『死者のための聖務曲集』は、ラス・デカルサス・レアレス修道院の修道女であった大公女マルガリータに献呈された。折しもスペイン黄金期が終焉を迎えようとする時期に出版されたこの『死者のための聖務曲集』の序文で、ビクトリアが、”この上なく温容なる母君”マリア皇太后のため、白鳥の歌として作曲したという内容の記述を残している通り、この作品がビクトリア最後の出版作となった。
ビクトリアは、マリア皇太后の崩御後もマリア皇太后が修道院に寄進した司祭の聖職禄を受け、年120ドゥカートの聖職給を終身保障されていたほか、ラス・デカルサス・レアレス修道院のオルガニストとして、1604年から1605年の間に年俸40000マラヴェディス(1606年から1611年の間は、年俸75000マラヴェディス)を別途受けていた。しかし、1605年1月1日、ビクトリアは、一種の聖職売買で、720ドゥカートを得ていたことが明らかになっており、それは『死者のための聖務曲集』の出版費用を捻出するためではなかったかとみられている。1606年2月1日付でローマのコレギウム・ジェルマニクム宛に送られたビクトリアの現存する最後の手紙には、マリア皇太后の葬儀の報告とあわせ、『死者のための聖務曲集』の写しが添えられていたという。


【歌詞】

◇朝課の第2レクツィオ「わが魂は生活に疲れたり」(省略)

『レクイエム』(Missa pro defunctis)仮訳(英語より重訳、新共同訳他参照)

◇Introitus(入祭唱)
Requiem eternam dona eis Domine:
主よ、永遠の安息を彼らに与え
et lux perpetua luceat eis.
絶えざる光で照らし給え
Psaume : Te decet hymnus Deus in Sion,
詩編: 神よ、シオンではあなたに賛歌が捧げられ、
et tibi reddetur votum in Ierusalem:
エルサレムでは誓いが果たされましょう
exaudi orationem meam, ad te omnis caro veniet.
我が祈りを聞き届け給え、 全ての肉体はあなたのもとにかえりましょう

◇Kyrie(キリエ)
Kyrie eleison.
主よ、憐れみ給え
Christe eleison.
キリストよ、憐れみ給え

◇Graduale (昇階唱)
Requiem eternam dona eis Domine:
主よ、永遠の安息を彼らに与え
et lux perpetua luceat eis.
絶えざる光で照らし給え
In memoria aeterna erit iustus:
正しき者は永遠に記憶にとどめられ
A uditione mala non timebit.
悪しき報せを恐れることはないでしょう

◇Offertrium(奉献唱)
Domine Iesu Christe, Rex glorie,
主イエス・キリストよ、栄光の王よ、
libera animas omnium fidelium defunctorum de pœnis inferni, et de profundo lacu :
全ての死せる信者の魂を 地獄の罰と深淵より救い給え
libera eas de ore leonis, ne absorbeat eas tartarus, ne cadant in obscurum :
彼らの魂を獅子の口より救い給え 彼らが冥府に飲み込まれぬよう、暗黒に堕ちぬように
sed signifer sanctus Michael representet eas in lucem sanctam.
旗手、聖ミカエルが彼らの魂を聖なる光へと導きますように
Quam olim Abrahe promisisti et semini eius.
かつてあなたがアブラハムとその子孫に約束したように
Hostias et preces tibi Domine laudis offerimus:
主よ、あなたに我らは 賛美の生け贄と祈りを捧ぐ:
tu suscipe pro animabus illis,
彼らの魂のために受け給え
quarum hodie memoriam agimus:
今日、我らが追悼するその魂のために:
fac eas, Domine, de morte transire ad vitam.  
主よ、彼らの魂を死から生へと移し給え
Quam olim Abrahe promisisti et semini eius.
かつてあなたがアブラハムとその子孫に約束したように

◇Sanctus(サンクトゥス、三聖唱)
Sanctus, Sanctus, Sanctus,
聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、
Domine Deus Sabaoth.
万軍の神なる主よ
Pleni sunt caeli et terra Gloria tua.
天と地は汝の栄光に満つ
Hosanna in exelsis.
天のいと高きところにホザンナ
Benedicts qui venit in nomine Domini.
主の名によりて来たるものは祝福されましょう
Hosanna in excelsis.
天のいと高きところにホザンナ

◇Agnus Dei(平和の賛歌、神羔唱)
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi, Miserere nobis.
世の罪を除き給う神の仔羊よ、我らを憐れみ給え
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi, Miserere nobis.
世の罪を除き給う神の仔羊よ、我らを憐れみ給え
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi, Dona nobis pacem.
世の罪を除き給う神の仔羊よ、我らに平安を与え給え

◇Communio(聖体拝領唱)
Lux aeterna luceat eis, Domine:
主よ、絶えざる光で彼らを照らし給え
Cum Sanctis tuis in aeternum quia pius es.
あなたの聖者とともに永遠に 慈悲深き主よ
Requiem aeternam dona eis, Domine
主よ、永遠の安息を彼らに与え
et lux perpetua luceat eis.
絶えざる光で彼らを照らし給え
Cum Sanctis tuis in aeternum, quia pius es.
あなたの聖者とともに永遠に 慈悲深き主よ
Requiescant in pace. Amen.
安らかに彼らの憩わんことを アーメン

◇Motectum(葬送のモテット)
Versa est in luctum cithara mea
我がハープは悲しみの調べに変わり
Et organum meum in vocem flentium.
我がオルガンは嘆きの声に変わりぬ
Parce mihi, Domine, nihil enim sunt dies mei.
主よ、我を赦し給え 我が人生の空しきものなればこそ

◇Absolutio(赦祷唱)
Libera me, Domine, de morte aeterna, in die illa tremenda:
主よ、恐るべきその日、永遠の死から我らを解き放ち給え
Quando coeli movendi sunt et terra:
天地の揺れ動き
Dum veneris judicare saeculum per ignem.
主が炎をもって世を裁かれる日
Tremens factus sum ego, et timeo, dum discussio venerit atque ventura ira.
いずれ来たる裁きと怒りに、我は恐れおののく
Quando coeli movendi sunt et tera.
天地の揺れ動き
Dies illa, dies irae, calamitatis et miseriae, dies magna et amara valde.
怒りの日、禍の日、不幸の日、大いなる嘆きの日
Dum veneris judicare saeculum per ignem.
主が炎をもって世を裁かれる日
Requiem aeternam dona eis, Domine:.
主よ、永遠の安息を彼らに与え
et lux perpetua luceat eis
絶えざる光で彼らを照らし給え
Libera me, Domine, de morte aeterna, in die illa tremenda:
主よ、恐るべきその日、永遠の死から我らを解き放ち給え
Quando coeli movendi sunt et terra:
天地の揺れ動き
Dum veneris judicare saeculum per ignem.
主が炎をもって世を裁かれる日



【関連動画】
Sacred Music (BBC): Tomás Luis de Victoria - God's composer


【その他の録音】
・David Hill(dir.) Westminster Cathedral Choir: Victoria Requiem Officium Defunctorum, 1605
[Hyperion CDA66250](1987)


・Peter Philips(dir.) The Tallis Scholars : Victoria Requiem, Alonso Lobo Versa est in luctum
[Gimell 454 912-2](1987)

・Raul Mallavibarrena(dir.) Musica Ficta : Victoria Requiem 1605 Officium Defunctorum
Vadem et circuibo civitatem [Enchiriadisa EN2006](2004)

・Harry Christophers(dir.) The Sixteen: Victoria Requiem 1605 Officium Defunctorum
[CORO COR16033](2005)

・Paul McCreesh(dir.) Gabrieli Consort : Victoria Requiem 1605 Officium Defunctorum
[DG Archiv 4470952](2005)

・Carles Magraner(dir.) Capella de Ministrers, Cor de la generalitat valenciana : T.L. de Victoria Requiem
[Licanus CDM0615](2006)

・Nigel Short(dir.) Tenebrae : Lobo Versa est in luctum, Lamentations Ieremiae Propheetae
Victoria Requiem 1605 Officium Defunctorum [Signum SIGCD248](2011)

・Sergei Balestracci(dir.) La Stagione Armonica : Victoria Requiem 1605 Officium Defunctorum
[Pan Classics PC10235](2011)

・Philippe Herreweghe(dir.) Collegium Vocale Gent : Victoria Officium Defunctrum
[PHI LPN005] (2012)
*Gramophone Magazine Editor's Choice 2012



【関連サイト】
・CENTRO DE ESTUDIOS TOMÁS LUIS DE VICTORIA
(トマス・ルイス・デ・ビクトリア研究センター:スペイン語、英語ページあり)
 http://www.tomasluisvictoria.es/en
・国際楽譜ライブラリープロジェクト(IMSLP ペトルッチ楽譜ライブラリー) 
 クラシック音楽の楽譜が無料でダウンロードできるサイト。日本語解説あり.
 International Music Score Library Project/ Petrucci Music Library
 http://imslp.org/wiki/


【参考文献】
・Bruno Turner Liner notes for Victoria Officium Defunctrum  [PHI LPN005]
・Robert Murrell Stevenson "Spanish Cathedral Music in the golden age", University of California Press, 1976


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