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パレストリーナ『教皇マルチェルスのミサ』 [Palestrina]

■Christophers(dir.) The Sixteen : Allegri Miserere, Palrstrina Missa Papae Marcelli
[Coro COR16014](輸入盤)
massdepapaemarcellis(Coro).JPG

【演奏】
ハリー・クリストファーズ指揮
ザ・シックスティーン

【曲目】
1.ロッティ「十字架につけられ給いて」
2.パレストリーナ「スターバト・マーテル」
3.アレグリ「ミゼレーレ」
4.パレストリーナ「教皇マルチェルスのミサ」

【演奏者】
ザ・シックスティーンは、指揮者のハリー・クリストファーズにより、1979年結成されたイギリスの声楽アンサンブル(混声合唱団)、古楽器オーケストラ。ロンドンを拠点に演奏活動、ワークショップ等を行っており、独自レーベルCoroのほか、Hyperion、Virgin classics等で100タイトル以上の録音を行っている。近年では、BBCの番組”The Sacred Music”シリーズへの出演でも知られる。パワフルな演奏が持ち味で、ルネサンス期からバロックの古楽、オペラ、現代曲まで幅広くとりあげており、受賞歴も数多い。2012年には、パレストリーナ作品集第1巻がInternational classical music awardsを受賞。今後もパレストリーナ作品集第2巻に続き、パレストリーナ作品の録音が予定されている。

Harry Christophers / The Sixteen official site
http://www.thesixteen.com


【作曲者】
ジョヴァンニ・ピエルルイジ・ダ・パレストリーナ(Giovanni Pierluigi da Palestrina, c.1525-1594.2.2)は、イタリア・ルネサンス後期の音楽家。パレストリーナは、ローマの東方、約40㎞に位置する地名であり、在世中から、その生地と推察されるパレストリーナ(古名プラエネステ)ゆかりの呼び名で知られてきた。
パレストリーナの前半生を物語る史料は、ほとんど残されていないが、近年では、68歳で没したという当時の死亡告示や、70歳近くで亡くなったという三男イジェニオの証言から、1525年頃の生まれと推定されている。ヴァチカンの伝記が伝えるところでは、少年時代のパレストリーナの歌声を路上で偶然耳にした司教が、その美声と音楽的才能に驚き、音楽家への道を開いたとされる。
記録から明らかとなっているのは、1537年にローマのサンタ・マリア・マジョーレ大聖堂少年聖歌隊員となった者のリストにジョバンニという少年の名前があることのみである。パレストリーナは、1532年頃には、すでに生地の聖アガーピト教会少年聖歌隊員となっており、当時のパレストリーナ教区の司教アンドレア・デラ・ヴァッレ(Andrea della Valle)が、自身が主席司祭を兼ねていたサンタ・マリア・マジョーレ大聖堂少年聖歌隊員に推薦したのではないかとする説もあるが、歴史的な裏付けはとれていない。
パレストリーナは、サンタ・マリア・マジョーレ大聖堂少年聖歌隊で、ロヴァン・マラペール(Robin Mallapert, 1538–1553)およびフィルマン・ルベル(Firmin Lebel, 16世紀初頭-1573.12.27~31)等に師事したと考えられているが、その他に、パレストリーナが師事した可能性のある音楽家として、ジャック・アルカデルト(Jacques Arcadelt, 1514-60)の名前もしばしば挙げられている。また、過去には、クロード・グディメル(Claude Goudimel,1505-72) をパレストリーナの音楽の師とする説も根強く存在していたが、この説は、グディメルにローマ滞在歴がない等の理由で完全に退けられている。
パレストリーナは、1544年、パレストリーナの聖アガーピト教会オルガニスト兼合唱指導者となり、この頃から作曲活動をはじめたと考えられている。私生活では、1547年、最初の妻ルクレツィア・ゴーリ(Lucrezia Gori)と結婚し、のちに3人の子宝に恵まれている。
その後程なく、パレストリーナの音楽家人生に転機が訪れる。パレストリーナ教区の当時の司教ジョバンニ・マリア・デルモンテ(Giovanni Maria del Monte)が、1550年に、教皇ユリウス3世(在位:1550-1555)として教皇位につくと、パレストリーナはローマに招聘され、1551年9月、ローマ教皇庁のサン・ピエトロ大聖堂内のジュリア礼拝堂楽長に任命された。
教皇ユリウス3世は、パレストリーナの楽才を路上で見出し、ローマのサンタ・マリア・マジョーレ大聖堂少年聖歌隊に推薦したとも、聖アガーピト教会在職中のパレストリーナと親交を結んだとも伝えられる人物で、パレストリーナは、教皇ユリウス3世に、ミサ曲「見よ、大いなる司祭を(Ecce Sacerdos Magnus)」を捧げている。1554年には、同曲を含むパレストリーナの最初の曲集『ミサ曲第1巻(Missarum Liber Primus)』が教皇ユリウス3世に献呈された。フランドル楽派の音楽家が楽壇の主流を占めるなかにあって、パレストリーナは、ローマ教皇に曲集を捧げた初のイタリア生まれの作曲家として、次第にその名声を高めていくこととなった。
教皇ユリウス3世は、パレストリ-ナを礼拝堂付音楽監督に抜擢し、1555年1月に、カトリック教会において最も名誉あるシスティーナ礼拝堂聖歌隊歌手に任命した。伝承の真偽はともかく、前例を破って、通常課されるはずの厳しい審査も、他の聖歌隊歌手の同意もなしに、本来、既婚者を認めないシスティーナ礼拝堂聖歌隊歌手にパレストリーナを任命した事実だけをとってみても、教皇ユリウス3世のパレストリーナに対する厚遇は明らかであった。他の聖歌隊歌手に比べ、声質、歌唱力において劣るパレストリーナの任命は、聖歌隊の内部に軋轢を生じさせた一面があったとも伝わるが、教皇ユリウス3世は、パレストリーナが作曲活動に専念できる環境づくりを最優先させたものと考えられている。
しかし、1555年3月の教皇ユリウス3世崩御の後、パレストリーナのよき理解者であった次代教皇マルチェルス2世(在位:1555-1555)が在位わずか21日間で急逝し、厳格で、対抗宗教改革の推進者であった次々代の教皇パウルス4世(在位:1555-1559)が教皇位につくと、ローマ・カトリック教会内の綱紀粛正が始まり、1555年9月、パレストリーナを含む3人の音楽家は、既婚者であることを理由に、僅かな年金を与えられ、システィーナ礼拝堂聖歌隊歌手を解任された。
パレストリーナは、心労から病を得たとも伝えられるが、1555年10月1日、オルランドゥス・ラッスス(Orlandus Lassus / Orlando di Lasso,1532- 1594.6.14)の後任として、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂楽長となり、1560年6月頃までその職にあった。それまでの音楽家としてのキャリアにてらせば明らかな降格ではあったが、同聖堂在職中にパレストリーナの作曲した、エレミアの哀歌、マニフィカト、インプロペリアは、教皇パウルス4世の命によりローマ教皇庁で演奏され、のちにローマ教皇庁の聖週間の聖務曲レパートリーに加えられた。これら聖週間のための音楽は、パレストリーナの名声をさらに高めることとなった。
一方、パレストリーナは、楽長職にあって、少年聖歌隊員の処遇や自作品の出版に必要な財源の不足に苦しみ、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂側に報酬の増額を求めたが、その願いは財政危機に陥っていた大聖堂側に却下された。当時は、作曲、演奏、指揮は無論のこと、数十人を擁する少年聖歌隊員に対する食事や寄宿舎の提供、教育まで楽長の職務とされ、それらの費用は全て楽長職の報酬で賄われていたが、少年聖歌隊員の食事や宿舎等の環境が看過できないほど悪化し、問題化するに至り、パレストリーナは同聖堂少年聖歌隊員となっていた長男ロドルフォを伴い、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂を無断で離職したとの記録が残されている。
パレストリーナは、1561年3月1日に、サンタ・マリア・マジョーレ大聖堂楽長職に転じ、1566年頃まで在職したと見られる。1567年8月には、代表作「教皇マルチェルスのミサ(Missa Papae Marcelli)」を含む『ミサ曲集第2巻(Missarum Liber Secundus)』がローマで出版された。また、1570年に出版された『ミサ曲集第3巻(Missarum liber tertius)』は、スペイン国王フェリペ2世に献呈されている。
この間、1559年の教皇パウルス4世の崩御により、教皇ピウス4世(在位:1559-1565)が教皇位につくと、前教皇時代に断罪された人々の恩赦等がはじまり、パレストリーナは年金を増額された。また、パレストリーナは、1564年に、 芸術のパトロンとして知られたイッポーリト・アルフォンソ・ディ・エステ枢機卿の依頼で、ティヴォリのエステ家別荘の夏の音楽を担当したほか、数年にわたり、エステ家の音楽監督を務めたと見られている。
1566年には、教皇ピウス5世(在位:1566-1572)が教皇位についた。パレストリーナは、同年、新設のイエズス会附属神学校セミナーリオ・ロマーノの音楽教師に招かれ、一年余教鞭をとった。パレストリーナは、1568年には、神聖ローマ帝国皇帝マキシミリアン2世(Maximilian II, 在位:1564-1576)よりウィーンの宮廷に招かれた。1583年にはまた、アマチュア音楽家で、パレストリーナと交流のあったことで知られるマントヴァ公グリエルモ・ゴンザーガ(Guglielmo Gonzaga, 在位:1550-1587)の宮廷に招かれたが、いずれも報酬額をめぐって折り合いがつかず、ローマで活動を続けた。
1571年、サン・ピエトロ大聖堂内のジュリア礼拝堂楽長ジョバンニ・アニムッチア(Giovanni Animuccia, c.1520-c.1571.3.20)の逝去により、パレストリーナは、教皇ピウス5世の命でジュリア礼拝堂楽長に招還され、終生在職している。
パレストリーナは、1572年に弟のシッラと長男のロドルフォ、1575年に次男アンジェロ、そして1580年に妻のルクレティアを相次いで伝染病のペストで失うという不幸に見舞われた。この頃、失意のパレストリーナが作曲した作品のひとつが、詩編137「バビロンの流れのほとりで(Super flumina Babylonis)」である。
パレストリーナは聖職者に転身をはかったが、一転して、1581年2月28日に、裕福な毛皮商の未亡人ヴィルジニア・ドルモーリ(Virginia Dormoli)と再婚した。この再婚により、パレストリーナは、その生涯で初めて経済的な安定を得たとされ、再婚した妻の事業収益や不動産投資等のおかげで、財政面で独立した形で作曲活動を再開することができた。再婚後に作曲された代表的な作品には、「ソロモンの雅歌(Canticum Canticorum Salomonis: Song of songs)」等があり、パレストリーナの結婚に対する喜びが反映されているといわれる。その晩年は、教皇庁の他、少なくともローマの教会や団体等12か所以上に作品を提供するなど、多作であったと同時に、穏やかなものであったと伝えられている。
パレストリーナは、1594年2月2日、肋膜炎とみられる症状によりローマで逝去。サン・ピエトロ大聖堂内の礼拝堂で営まれた葬儀では、聖歌隊により詩編等が演奏された。その柩には、「ジョヴァンニ・ピエルルイジ・ダ・パレストリーナ、音楽の大公(Joannes Petraloysius Praenestinus musicae princeps)」と記銘され、音楽関係者のみならず、大勢のローマ市民が別れを惜しんだという。その生涯は、後世、ハンス・プフィッツナー(Hans Erich Pfitzner, 1869.5.5-1949.5.22)作曲のオペラ『パレストリーナ』の題材としても取り上げられた。


【作品】
パレストリーナは多作な作曲家で、現存する作品には、ミサ曲105曲、モテット375曲、マニフィカト35曲等がある。代表作は「教皇マルチェルスのミサ」で、“教会音楽の父”、等と呼ばれる。1578年には、教皇グレゴリウス13世(在位:1572-158)の求めにより、グレゴリオ聖歌の改訂作業に着手したが、その遺稿は、残念ながら、三男イジェニオから出版業者の手を経るうちに散逸してしまったと伝えられる。また、教会音楽だけでなく、世俗作品にも取り組んでおり、1555年に世俗作品を含む最初のモテット集を出版したほか、世俗マドリガーレ、カンツォーナ等の作品も多く残した。
パレストリーナ自身による音楽理論書は残されていないが、不協和音を避け、順次進行を主体としたその清澄な合唱スタイルは、パレストリーナ様式と称され、ヨハン・ヨーゼフ・フックス(Johann Joseph Fux, 1660-1741.2.14)が1725年に出版した教本『パルナッソスへの階段(古典対位法)』のなかで、古典対位法の模範として取り上げたように、後世に大きな影響を与えた。例えば、J. S.バッハ(Johann Sebastian Bach, 1685.3.31-1750.7.28)は、1742年頃、研究のため、パレストリーナのミサ曲「無名のミサ(Missa sine nomine)」の写譜を作成し、実演したほか、他作品への加筆等も行ったことが知られている。
ハリー・クリストファーズは、BBCの番組(“Sacred Music: Palestrina and the Popes”)で、音楽と教会建築について語り、パレストリーナの作品が当時の建築に用いられたアーチを思わせるという内容のコメントを残しているが、パレストリーナの作品の特徴のひとつが正しくイタリア的な旋律美と三和音を基礎とした和声進行とを融合させた作曲技法にあり、その透明感にあふれ、明晰で、均衡のとれた多声音楽が豊かな響きを持つことはしばしば指摘されるとおりである。
パレストリーナはまた、フランドル楽派の技法を完全に自家薬籠中のものとして、新たな作曲技法を確立した反面、保守的な作風の作曲家と位置づけられる。保守的な作風と関連して、テキストに対する深い理解に根ざした音楽づくりもその特徴のひとつで、パレストリーナ作品では、単にテキストを聞き取りやすくするばかりでなく、テキスト理解を言外に助ける音楽的配慮を含め、全体に緻密な仕上げが施されている。
そうしたパレストリーナの作曲姿勢に影響を与えた人物のひとりは、パレストリーナが終生心の拠りどころとしたオラトリオ修道会の創始者、聖フィリッポ・ネリ(St. Philip Romolo Neri / Filippo Neri, 1515.7.21- 1595.5.25)ではないかと推測されている。しかし、パレストリーナの活動期がマルティン・ルターによる宗教改革に対抗して、ローマ・カトリック教会内で行われた、いわゆる対抗宗教改革(カトリック改革)期と重なっていたという時代的背景を忘れてはならないだろう。
宗教改革以前にはじまるローマ・カトリック教会刷新運動の波は、この時期、教会音楽にまで及び、1545年から1563年にかけて、断続的に開催されたトレント公会議では、テキストの典礼文が明瞭に聞き取れなくなるという理由で、複雑化したポリフォニー音楽が批判の対象となり、一時は、ポリフォニー音楽の廃止を求める案が大勢を占めた。しかし、テキストの伝達とポリフォニー音楽の技法が両立し得ることを示す優れたミサ曲が公会議の場で演奏されたのを機にトレント公会議の論調は一転し、従来のポリフォニー音楽を容認するという結論に落ち着いた。ポリフォニー音楽の危機を救ったそのミサ曲こそ、パレストリーナの「教皇マルチェルスのミサ」であるというジュゼッペ・バイーニ(Guiseppe Baini) 神父の説は、1828年に発表され、広く人口に膾炙したが、現在は、伝説の域を出ないと看做されるようになっている。
パレストリーナが歴代ローマ教皇に仕えた教会音楽作曲家であり、トレント公会議の最終会議の時点で、すでに高名な音楽家として知られた存在であったことがこの「教皇マルチェルスのミサ」をめぐる伝説の背景にあることは、想像に難くない。ただし、トレント公会議の場で演奏されたミサ曲が公会議の決定を左右したこと自体は、全く根拠のない作り話でもなく、Lewis Lockwoodの研究では、公会議でミサ曲を実演したのは、ドゥオモ(ミラノ大聖堂)楽長ヴィンツェンツォ・ルッフォ(Vincenzo Ruffo, c.1508-1587.2.9)ではないかとされている。
伝説に彩られた「教皇マルチェルスのミサ」だが、そのタイトルは、パレストリーナと同時代の教皇マルチェルス2世に敬意を表してつけられたと考えるのが自然で、教皇マルチェルス2世自身、在位3日目の聖金曜日にパレストリーナら聖歌隊歌手を集め、テキストを明瞭に伝え、聴衆の理解を促すような演奏をするよう求めたというエピソードを残していることがその私設秘書の日記から明らかとなっている。
そのため、「教皇マルチェルスのミサ」は、1555年の教皇マルチェルス2世の教皇選出を祝して作曲されたのではないかとみるFranz Xavier Haberlの研究が1892年に発表された。「教皇マルチェルスのミサ」は、パレストリーナのミサ曲に多く見られる自作他作の世俗楽曲にもとづくパロディ・ミサでも、定旋律ミサでもなく、テキストの聞き取りやすさに配慮し、6声を基本としつつ、べネディクトゥスを2声とするなど、より自由な作曲方法がとられている点で、教皇マルチェルス2世の意にかなった作品であり、教皇選出を祝して、あるいは、教皇の崩御から間もない時期に、追悼のため作曲されたと考えられたとしても何ら不思議はない。
しかし、「教皇マルチェルスのミサ」のメロディやリズムの洗練された書式等から、同曲は、パレストリーナがサンタ・マリア・マジョーレ大聖堂楽長職にあった1562年から1563年頃の作品ではないかとみるKnud Jeppesen やAllan W. Atlasのような研究者もいる。ローマの聖チェチーリア音楽院には、「教皇マルチェルスのミサ」の自筆譜が現存しており、1562年から1563年頃に記譜されたと推定されることも有力な論拠のひとつである。1562年から1563年頃といえばまた、トレント公会議で複雑化したポリフォニー音楽への批判が強まった時期にあたり、「教皇マルチェルスのミサ」の作曲は、パレストリーナなりの意思表明との推測も成り立ち得る。パレストリーナは、 1562年に、トレント公会議でポリフォニー音楽の廃止を主張した強硬派のルドルフォ・ピオ(Rudolfo Pio)枢機卿に自作のモテット集を献呈したが、Lewis Lockwoodの研究では、これは、その強硬姿勢を撤回したピオ枢機卿に対する謝意の表れではないかとの解釈が示されている。「教皇マルチェルスのミサ」の作曲年代の特定をめぐっては、依然、議論の余地が残されているが、近年では1562年から1563年とする見方が優勢となっているといえるのではないだろうか。
「教皇マルチェルスのミサ」をめぐり、明らかになっている事実のひとつは1565年6月19日、ローマ教皇ピウス4世の荘厳ミサで「教皇マルチェルスのミサ」が演奏され、 同年中にローマ教皇庁聖歌隊の写本に収められたことである。1590年にはまた、「教皇マルチェルスのミサ」を含むパレストリーナ作品集が他の作曲家の手で編曲され、ミラノで出版された。パレストリーナ自身も、1567年に出版された『ミサ曲集第2巻』(「教皇マルチェルスのミサ」所収)序文で、トレント公会議の決定を全面的に受け入れる旨を表明している。
パレストリーナ作品は、主要なミサ曲を除き、これまで録音の機会には余り恵まれてこなかったが、少しずつ録音の機会が増えるにつれ、近年では、「教皇マルチェルスのミサ」がパレストリーナの最高傑作ではないとの見方が大勢を占めつつある。しかし、「教皇マルチェルスのミサ」が優れた作品であることは変わりなく、少なからぬ録音の聴き比べも愉しむことができる。


【歌詞】
Missa Papae Marcelli 教皇マルチェルスのミサ
【ミサ曲通常文仮訳(日本カトリック教会式文等参照)】

◆キリエ(Kyrie)
Kyrie eleison.
主よ、憐れみ給え
Christe eleison.
キリストよ、憐れみ給え
Kyrie eleison.
主よ、憐れみ給え

◆グロリア(Gloria)
Gloria in excelsis Deo.
天のいと高きところには、神に栄光あれ
et in terra pax hominibus bonae voluntatis.
地には、善意の人に平和あれ
Laudamus te.
我らは主を誉め
Benedicimus te.
主を讃え
Adoramus te.
主を拝み
Glorificamus te.
主を崇め奉らん
Gratias agimus tibi propter magnam gloriam tuam.
主の大いなる栄光ゆえに 感謝し奉る
Domine Deus, Rex caelestis, Deus Pater omnipotens.
神なる主、天の王、全能の父なる神よ
Domine Fili unigenite, Jesu Christe.
主のおひとり子、イエス・キリストよ
Domine Deus, Agnus Dei, Filius Patris.
神なる主、神の仔羊、父の御子よ
Qui tollis peccata mundi, miserere nobis.
世の罪を除き給う主よ、我らを憐れみ給え
Qui tollis peccata mundi, suscipe deprecationem nostram.
世の罪を除き給う主よ、我らの願いを聞き入れ給え
Qui sedes ad dexteram Patris, miserere nobis.
父の右に座し給う主よ、我らを憐れみ給え
Quoniam tu solus sanctus,
主のみ聖なり、
Tu solus Dominus, Tu solus altissimus,
主のみ王なり、主のみいと高し、
Jesu Christe.
イエス・キリストよ.
Cum Sancto Spiritu in gloria Dei Patris.
聖霊とともに 父なる神の栄光のうちに.
Amen.
アーメン.

◆クレドCredo
Credo in unum Deum
我は信ず 唯一の神
Patrem omnipotentem
全能の父
factorem caeli et terrae, visibilium omnium et invisibilium
天と地、見えるもの、見えざるもの、万物の創造主を.
Et in unum Dominum Jesum Christum,
我は信ず 唯一の主 イエス・キリスト
Filium Dei unigenitum.
神のおひとり子を
Et ex Patre natum ante omnia saecula.
万世のさきに、父から生まれし
Deum de Deo, lumen de lumine, Deum verum de Deo vero.
神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神を
Genitum, non factum, consubstantialem Patri:
造られずして生まれ、父と一体である
per quem omnia facta sunt.
万物の創造主を
Qui propter nos homines,
我ら人類のため
et propter nostram salutem descendit de caelis.
我らの救いのために 天より下り
Et incarnatus est de Spiritu Sancto ex Maria Virgine:
聖霊によりて 聖母マリアから御体を受け
et homo factus est.
人となられし方を
Crucifixus etiam pro nobis
我らのために十字架にかけられ
sub Pontio Pilato passus, et sepultus est.
ポンテオ・ピラトのもとに 苦しみを受け、葬られ給えり
Et resurrexit tertia die, secundum Scripturas.
聖書に書かれた通り、三日目に蘇られ
Et ascendit in caelum: sedet ad dexteram Dei Patris
天に昇りて、父なる神の右に座し給えり
Et iterum venturus est cum gloria
主は 栄光のうちに再び世に来られ
judicare vivos et mortuos
生ける者と死せる者を裁き給う
cujus regni non erit finis.
主の国は終わることなし
Et in Spiritum Sanctum, Dominum, et vivificantem
我は信ず 主なる、生命の与え主たる精霊を
qui ex Patre Filioque procedit.
聖霊は 父と子より出で
Qui cum Patre et Filio simul adoratur, et conglorificatur
父と子とともに、拝され、あがめられ
qui locutus est per Prophetas
預言者により語られ給えり
Et unam sanctam catholicam et apostolicam Ecclesiam
我は信ず 唯一の、聖なる、公の使徒継承の教会
Confiteor unum baptisma in remissionem peccatorum
我は罪の赦しとなる唯一の洗礼を認め
Et exspecto resurrecationem mortuorum.
死者の復活と
Et vitam venturi saeculi.
来世の生命を待ち望まん
Amen
アーメン

◆サンクトゥスSanctus
Sanctus, Sanctus, Sanctus Dominus Deus Sabaoth.
聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の神なる主
Pleni sunt caeli et terra gloria tua.
天地は主の栄光に満てり
Hosanna in excelsis.
天のいと高きところにホザンナ
Benedictus qui venit in nomine Domini
誉むべきかな、主の御名によって来たる者
Hosanna in excelsis
天のいと高きところにホザンナ

◆アニュス・デイAgnus Dei
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi: miserere nobis.
世の罪を除かれる神の仔羊よ、我らを憐れみ給え
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi: miserere nobis.
世の罪を除かれる神の仔羊よ、我らを憐れみ給え
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi: dona nobis pacem.
世の罪を除かれる神の仔羊よ、我らに平安を与え給え


【関連動画】
◆ザ・シックスティーン「教皇マルチェルスのミサ」よりグロリア



【その他の録音】
・Peter Philips(dir.) Tallis scholars : Allegri Miserere, Palestrina Missa Papae Marcelli
  [Gimell CDGIM 339 454 939-2]


・Peter Philips(dir.) Tallis scholars live in Rome [Gimell CDGIM 994]


・David Hill(dir.)The Choir of Westminster Cathedral : Palestrina Missa Papae Marcellis, Missa brevis
[Hyperion CDA66266]


・Jeremy Symmerly(dir.)Oxford Camerata : Palestrina Missa Papae Marcellis, Missa Aeterna Christi Munera [NAXOS 8556573](1994)


・Paolo da Col(dir.)Odhecaton : Palestrina Missa Papae Marcellis [Arcana A358]


・Volker Hedtfeld(dir.) OPUS VOCALE: Palestrina Missa Papae Marcellis [Rondeau ROP6043](2012)



【参考サイト】
・The Giovanni Pierluigi da Palestrina Foundation
 http://www.fondpalestrina.org/


【関連サイト】
・Choral Public Domain Library http://www2.cpdl.org/wiki/index.php/Main_Page
合唱音楽の楽譜を無料ダウンロードできるサイト(英語)
「教皇マルチェルスのミサ」楽譜ページ
http://www2.cpdl.org/wiki/index.php/Missa_Papae_Marcelli_(Giovanni_Pierluigi_da_Palestrina)
・IMSLP / ペトルッチ楽譜ライブラリー http://imslp.org/wiki/
(クラシック音楽の楽譜が無料でダウンロードできるサイト。日本語解説あり)
・「教皇マルチェルスのミサ」楽譜ページ
 http://imslp.org/wiki/Missa_Papae_Marcelli_(Palestrina,_Giovanni_Pierluigi_da)

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