SSブログ

『聖母マリアのカンティガ集』 [Codex]

■Alfonso X El Sabio, Cantigas de Santa Maria
[AUVIDIS ASTREE E8508](輸入盤・廃盤)
E8508f.JPG

【演奏】
ジョルディ・サヴァール指揮
ラ・カペラ・ライアル・デ・カタルーニャ
エスペリオンXX

【演奏者】
ジョルディ・サヴァールは、1941年、スペイン、カタルーニャ生まれ。スイスのバーゼル・スコラ・カントルムで、アウグスト・ヴェンツィンガーに学んだ。1974年からバーゼル・スコラ・カントルムでヴィオラ・ダ・ガンバを指導、同年にエスペリオン XX(2000年よりエスペリオンXXIに改称)を結成している。その後、1987年にラ・カペラ・レイアル・デ・カタルーニャ、1989年にル・コンセール・デ・ナシオンを結成、現在では主にソプラノ歌手の妻モンセラート・フィゲラスや二人の子どもたちと演奏活動を行っている。
サヴァールは古楽界を代表する演奏家、指揮者のひとりであり、とりわけ1970年代以降のヴィオラ・ダ・ガンバの蘇演に大きな役割を果たしたことで知られる。また1991年のフランス映画『めぐり合う朝』では音楽を担当し、グラミー賞にノミネートされた。録音は、当初EMI、1975年以降はASTREEで行っており、1998年には独自レーベルAlia Voxを立ち上げている。

◆ジョルディ・サヴァール オフィシャルサイト
http://www.alia-vox.com/

[曲目]
アルフォンソ10世(賢王)『聖母マリアのカンティガ集』(CSM)選集
1. 序曲 (CSM 176)
2. Santa Maria, strela do dia「聖母マリア、夜明けの星よ」(CSM 100)
3. Pero cantigas de loor「聖母を讃えあらゆるカンティガを書きはしたが」(CSM 400)
4. 器楽曲 (CSM 123)
5. Muito faz grand' erro「大いなる過ちのうちに生き、神の善き行いを否定する者は」(CSM 209)
6. Por nos de dulta tirar「我らを疑いから解き放つため」(CSM 18)
7. 器楽曲 (CSM 142)
8. Pode por Santa Maria「聖母マリアの御為に」(CSM 163)
9. Miragres fremosos faz por nos「驚くべき奇蹟の数々」(CSM 37)
10. 器楽曲 (CSM 77-119)
11. De toda chaga ben pode guarir 「すべての傷や痛みは癒され」CSM 126)
12. Pero que seja a gente「たとえ異教徒であろうとも」(CSM 181)
13.最終曲 (CSM 176)

録音:1993年2月、カタルーニャ、カルドナ城附属王立修道院
2000年にデジパック仕様盤 (ASTREE ES9940)として再発されたが、廃盤となり、2009年Alia Voxより再々発された。

【作品】
『聖母マリアのカンティガ集(Cantigas de Santa Maria)』は、13世紀の後半に、カスティーリャ・レオン王国の国王アルフォンソ10世(Alfonso X、1221.11.23-1284.4.4)が編纂した歌曲集。
カンティガとは、当時のイベリア半島で歌われたガリシア=ポルトガル語の単旋律歌曲で、頌歌とも呼ばれる。『聖母マリアのカンティガ集』は、聖母マリアの奇蹟を讃えた頌歌集で、420曲余の収録曲のうち、350曲余が物語歌となっている。そのほとんどは、聖母マリアがさまざまな困難や苦難に直面した人々の前に現れ、病気や傷を癒し、救いを授けるという内容の物語である。例えば、第209番は、死をも覚悟する激しい痛みに襲われたアルフォンソ10世の病床で、王の身体の下に『聖母マリアのカンティガ集』を差し入れたところ、病気が癒されたという奇蹟、第367番は、アルフォンソ10世がサンタ・マリア・デル・プエルトの教会を訪問後、傷めていた脚を癒されたという奇蹟の物語歌である。また、第7番は懐妊した尼僧をめぐる奇蹟、第323番は死んだ男の子を聖母が生き返らせた奇跡の物語歌等となっている。第361番は、ラス・ウェルガス修道院の聖母マリア像の奇蹟の物語歌で、物語歌の多くはイベリア半島を舞台としているが、第39番はフランス、モン・サン=ミッシェルの物語歌であり、物語歌の舞台はヨーロッパ各地に広がりを見せている。
『聖母マリアのカンティガ集』の編纂は、アルフォンソ10世の治世の大半を費やした一大プロジェクトで、ローマ法に基づく『七部法典』、『アルフォンソ天文表』、『イベリア史』の編纂をはじめ、学問や芸術の庇護等、文化・行政面の功績により《賢王:エル・サビオ(el Sabio)》の誉れ高き国王、アルフォンソ10世自らも編纂に携わり、ヨーロッパ各地に伝わる聖母マリアの奇蹟をもとに、吟遊詩人らに作詞、作曲を依頼したと見られる。
『聖母マリアのカンティガ集』は作者不詳とされているが、自ら詩作を行っていたことでも知られるアルフォンソ10世がその収録作品のいくつかを手がけたことは、プロローグ等から見てほぼ確実とする研究もあり、その作品やアルフォンソ10世が関与した範囲の特定をめぐって議論が続いている。また、現存する作品等から、吟遊詩人アイラス・ヌニェス(Airas Nunes, c.1230-1289)が作者のひとりである可能性が高いことが指摘されている。作者の可能性が高いとみられる吟遊詩人としては、最後のトルバドゥールのひとりといわれるギロー・リキエ(Guiraut Riquer, 生没年不詳)や、ガリシア出身とみられる吟遊詩人ペロ・ダ・ポンテ(Pero da Ponte,生没年不詳)等の名もあがっている。
13世紀のイベリア半島では、司祭で詩人でもあったゴンサロ=デ=ベルセオ(Gonzalo de Berceo, c.1180-1246)の『聖母マリアの奇蹟(Los milagros de Nuestra Senora)』等の作品も誕生しており、『聖母マリアのカンティガ集』の編纂以前から、聖母マリアの奇蹟を主題とする作品が既にいくつか存在していた。アルフォンソ10世の宮廷ではまた、ユダヤ教徒や、レコンキスタ(国土回復運動)後も改宗せずに残留したイスラム教徒、ムデハル(mudejar)の楽士らも歓迎され、カンティガの演奏において重要な役割を果たしていたと見られる。しかし、アルフォンソ10世の宮廷で楽士らに演奏されていたのは、専ら世俗的なカンティガであり、聖母マリアの奇蹟とカンティガ集を結び付けたという点で、宗教的なカンティガ集の編纂には独創的な面があった。『聖母マリアのカンティガ集』の編纂がすすめられた背景としては、アルフォンソ10世の文学趣味、各種の編纂事業に対する理解やパトロン精神もあるが、何よりその聖母マリア信仰の篤さが大きな原動力であったと考えられている。
現存するカンティガ集のなかでも、その規模、内容ともに随一の作品である『聖母マリアのカンティガ集』は、中世ヨーロッパにおける聖母マリアの奇蹟の伝承を蒐集した成果の結晶であると同時に、その典雅な響きから、当時、叙情詩に最もふさわしいとされたガリシア=ポルトガル語による代表的な文学作品とも言える。
歌詞は、2音節、17音節のものも散見されるが、8音節詩が中心で、収録曲は、ネウマ譜で記譜されており、カンティガ10作品毎に賛歌(頌め歌)がさしはさまれている。現在の曲名は、冒頭句からの訳出によるもので、収録曲は当時の世俗的なカンティガや民謡に基づくものと考えられてきたが、ロンドー、ヴィルレーの変則的なスタイルを多く含んでいるとして、北フランスからの音楽的な影響が指摘されるようになった。全曲録音こそいまだにないが、美しくも、素朴で親しみやすい旋律を特徴とし、セヘル(Zejel)と呼ばれるアラブ系の詩のスタイルを色濃く残している『聖母マリアのカンティガ集』は、東西文化の交差点であった中世イベリア半島における音楽史を辿る上で、非常に興味深い作品である。
羊皮紙に細密画(ミニアチュール)の描かれた頌歌集はまた、贅を尽くした美術工芸品であり、当時の楽器や演奏の在り方を現代に伝える貴重な資料でもある。
音楽のみならず、文学、美術面での魅力を兼ね備えた『聖母マリアのカンティガ集』は、レコンキスタ(国土回復運動)を継承しながら、軍事、外交面での失政続きにより、最終的に王子サンチョに王位を簒奪され、幽閉されたまま人生を終える形となったアルフォンソ10世にとっては、個人的な救済を求めるためのものであると同時に、政治的な生き残りをかけた戦略としての一面もあったと考えられている。
現在、『聖母マリアのカンティガ集』には、4冊の手稿本が伝わっており、スペインのマドリッド国立図書館(Biblioteca Nacional de Madrid)には、10069の署名のある手稿本が所蔵されている。1869年にマドリッド国立図書館に移管されるまでの一時期、トレド大聖堂に所蔵されていたことから、Toまたは Tolの略称で知られるこの手稿本には、プロローグおよび120作品余が含まれている。Toまたは Tolの収録作品は、第1番から作品番号順となっており、細密画(ミニアチュール)が描かれていないことなどから、現存する手稿本のうち、最も早い時期に制作されたものと推定されている。
王立エル・エスコリアル聖ロレンソ修道院図書館(San Lorenzo del Escorial)には、T.j.1.の署名があり、TまたはT.j.1.の略称で知られる手稿本(códice rico)が所蔵されている。TまたはT.j.1.には、ToまたはTol所収の作品がほぼ再掲されているが、その付曲番号はToまたはTolとはやや異なる。TまたはT.j.1.は、タイトル、索引、プロローグおよび190作品余を含み、細密画(ミニアチュール)が最も多く描かれた豪華なつくりで、1271年から1280年代初頭にかけて制作されたものと見られる。TまたはT.j.1.は、16世紀に、スペイン国王フェリペ2世の命により、アルフォンソ10世が晩年を過ごした幽閉先のセヴィリアから、当時のエル・エスコリアル宮殿にもたらされた。
また、イタリア、フィレンツェ国立中央図書館(Biblioteca Nazionale Centrale, Florence)には、Banco Rari 20の署名のある手稿本が所蔵されている。Fの略称で知られるこの手稿本には、第109番に空白が残されているなど、未完成の部分が少なくない。しかし、FがTまたはT.j.1.のスタイルを踏襲しており、また、F所収の100作品余は、TまたはT.j.1.と全く重複せず、ToまたはTolとの重複も4作品に限られていることなどから、FはTまたはT.j.1.の続巻として制作されたと考えられる。Fの制作年代は、1279-80年以降と見られ、制作期間が1284年のアルフォンソ10世の崩御後に跨った可能性もある。アルフォンソ10世や王家関連のカンティガを多く含むFは、アルフォンソ10世の伝記的な性格を持ち、1270年代のアルフォンソ10世によるローマ教皇訪問とFを関連づける推察もあるが、Fがイタリアで収蔵されるに至った経緯については不明のままである。
王立エル・エスコリアル聖ロレンソ修道院図書館ではまた、TまたはT.j.1.と同様に、スペイン国王フェリペ2世によりセヴィリアからもたらされた、EまたはB.j.2の略称で知られる手稿本(códice de los músicos)を所蔵している。EまたはB.j.2は、1282年以降の制作と見られ、完成を急いだ形跡が随所に見て取れるものの、タイトル、プロローグおよび400余作品(但し、ToまたはTol所収の10作品を除く)をほぼ完全なかたちで網羅しており、音楽面では最も充実した内容となっている。
オックスフォード大学『聖母マリアのカンティガ集』研究センターでは、2005年より、『聖母マリアのカンティガ集』のデータベース化を含む研究事業がすすめられている。

◆Centre for the Study of the Cantigas de Santa Maria of Oxford University
http://csm.mml.ox.ac.uk/


【歌詞】

◆「聖母マリア、夜明けの星よ」(CSM 100)仮訳(英語訳からの重訳)

Santa Maria, strela do dia
聖母マリア、夜明けの星よ
mostra-nos via pera Deus e nos guia.
我らに神の御許にいたる道を示し、導き給え

Ca veer faze-los errados
御身は道に迷い、罪ありて
que perder foran per pecados
過ちを犯せし者を救われたり
entender de que mui culpados son;
その罪を知りつつも
mais per ti son perdõados
御身は彼らを赦されたり
da ousadia que lles fazia
彼らが望まれざる悪事に手を染めしは
fazer folia mais que non deveria.
その蛮勇が為せしわざなればなり
Santa Maria, strela do dia,
聖母マリア、夜明けの星よ

Amostrar-nos deves carreira
我らにどうか
por gãar en toda maneira
とるべき道を示し給え
a sen par luz e verdadeira
無比なる、真実の光を
que tu dar-nos podes senlleira;
我らに与え給うは御身のみなり
ca Deus a ti a outorgaria
なぜなら神の御身に授け、
e a querria por ti dar e daria.
御身を通じ、我らに与えんと望まれしゆえなり
Santa Maria, strela do dia,
聖母マリア、夜明けの星よ

Guiar ben nos pod' o teu siso
御身の叡智こそが我らを導き給う
mais ca ren pera Parayso
天国にいたるまで、万事を
u Deus ten senpre goy' e riso
天国において、神は永久の喜びに満ち、
pora quen en el creer quiso;
神を信ずる者に微笑み給えり
e prazer-m-ia se te prazia
御身の思し召しにかなわくば
que foss' a mia alm' en tal compannia.
我が魂をともにせん
Santa Maria, strela do dia,
聖母マリア、夜明けの星よ


【関連動画】

◆Santa Maria, strela do dia「聖母マリア、夜明けの星よ」(CSM 100)


【録音】
・Jordi Savall(dir.) Alfonso X El Sabio, Cantigas de Santa Maria [Alia Vox]

・Ensemble Unicorn“Cantigas de Santa Maria”[Naxos 8553133](1995)

・Alla Francesca “Cantigas de Santa Maria”[OPUS 111 OPS30-308](2000)(廃盤)
 *現在、ナクソス・ミュージック・ライブラリーに収録

・Martin Novak, MargitUbellacker, Barbara Kabatkova, Hana Bladzikova "Cantigas de Santa Maria"
PHI LPH017(2015)


【参考サイト】
◆Choral Public Domain Library(Choral Wiki)
http://www2.cpdl.org/wiki/index.php/Cantigas_de_Santa_Maria
『聖母マリアのカンティガ集』を含め、合唱音楽の楽譜を無料ダウンロードできるサイト(英語)
◆『聖母マリアのカンティガ集』ファクシミリ譜・サンプル画像(絶版、códice rico)
http://www.edilan.es/hojas/0002e.htm
◆『聖母マリアのカンティガ集』ファクシミリ譜・サンプル画像(F)
http://www.edilan.es/hojas/0003e.htm

【参考文献】
・Joseph F. O’Callaghan“Alfonso X and the Cantigas de Santa Maria: A Poetic Biography”,BRILL, 1998.


共通テーマ:音楽

『モンセラートの朱い本』 [Codex]

■Llibre Vermell de Montserrat Cantigas de Santa Maria
ALLA FRANCESCA [OPUS 111 OPS 30-131](輸入盤・廃盤)

OPS30131f.JPG

【演奏】
エマニュエル・ボナルド
ピエール・アモン
ブリジット・レーヌ他
アラ・フランチェスカ

【演奏者】
アラ・フランチェスカは、1989年にアンサンブル・ジル・バンショワのメンバーによって設立された中世音楽アンサンブル。中心的なレパートリーは、イタリア・スペインの中世音楽である。アンサンブル・メンバーのエマニュエル・ボナルドは、オブシディエンヌ、ブリジット・レーヌは、女声アンサンブル、ディスカントゥスも主宰しており、いずれも高い評価を得ている。アラ・フランチェスカは、OPUS111のほか、現在Zig Zag-territoriesで録音を行っている。

【曲目】
◇『ウェルガス写本』より
1.『低灌木によせて (In virgulto gracie)(器楽演奏)』

◇アルフォンソ10世(賢王)『聖母マリアのカンティガ集』より
2.『何と栄えある (Tanto son da groriosa)(器楽演奏)』(聖母マリアのカンティガ集第48番)
3.『イエス・キリストの御母( A Madre de Jhesu-Cristo)』(聖母マリアのカンティガ集第302番)
4.『夜も昼も (Mui grandes noit’e dia)』(聖母マリアのカンティガ集第57番)

◇『ウェルガス写本』より
5.『汚れなきカトリック教徒よ (Casta catorica)(器楽演奏)』

◇『モンセラートの朱い本』より
6.『おお、輝く聖処女よ (O virgo splendens)』(3声のカッチャ)
7.『輝ける星よ (Stella splendens in monte)』(ヴィルレー)
8.『処女なる御母を讃えん / 笏杖もて輝ける御身 (Laudemus virginem / Splendens ceptigera)』(3声のカッチャ)
9.『七つの喜び (Los set gotxs)』(バラータ)
10.『声をそろえ歌わん (Cuncti simus)』(ヴィルレー)
11.『あまねき天の女王よ (Polorum regina)』 (ヴィルレー)
12.『喜びの都の女王 (Imperayritz de la ciutat joyosa)』(2声のモテトゥス)
13.『処女なる御母、マリアを讃えよ (Mariam, matrem virginem)』(ヴィルレー)
14.『喜びの都の女王 (Imperayritz de la ciutat joyosa)』(2声のモテトゥス)
15.『七つの喜び (Los set gotxs)』(バラード)
16.『われら死をめざして走らん (Ad mortem festinamus)』(死の踊り / ヴィルレー)

録音:1994年11月、フォントヴロウ王立修道院
『ウェルガス写本』及び『聖母マリアのカンティガ集』作品をあわせて収録。聖母マリアのカンティガ集第48番は、モンセラートの聖母が修道士に泉の水を恵んだという奇蹟、第302番は、モンセラートの聖母がその聖堂内で盗みを働いた者を聖堂の外に出さなかったという奇蹟、第57番は、モンセラートへの巡礼路で、聖母が泥棒を悪業から救ったという奇蹟を主題としており、いずれもモンセラートの聖母に捧げられた作品である。
OPUS111は、ERATOのプロデューサー、エンジニアであったヨランタ・スクラが1990年に創設したレーベル。「音楽は商業ではなく、芸術」というコンセプトに基づき、優れた録音を次々と世に出し、新しいアーティストの発掘にも積極的に関わったが、創設者の引退に伴い、最終的にレーベルの活動を停止、2000年に諸権利がnaïve社に売却された。廃盤化されたOPUS111レーベルの音源再発の見通しは、残念ながら依然として不透明であるが、アラ・フランチェスカ『聖母マリアのカンティガ集』(OP30308)などは、Naxos Music Libraryで聴けるようになっている。

◆Naxos Music Library 
http://ml.naxos.jp/album/OP30308


【作品】
『モンセラートの朱い本(Llibre Vermell de Montserrat)』は、スペイン東部のカタルーニャ州、バルセロナ郊外のモンセラート修道院に伝わる14世紀の写本。
写本が生まれたモンセラート修道院の成り立ちからたどると、モンセラートとはギザギザな山を意味するカタルーニャ語に由来する地名であり、その名前の通り、淡紅色の礫岩の峰々がのこぎりの歯のように並ぶ奇怪な景観で知られる。ベネディクト会のモンセラート修道院は、1023-1027年頃、その岩山の南東、標高725mのマロ渓谷の岸崖を切り開いて建立された。
伝承によれば、50年頃に、聖ルカがエルサレムで彫刻したとされる木彫の聖母像がスペインにもたらされ、その後イベリア半島を支配したイスラム教徒による破壊から守るため、718年に現在のモンセラート修道院近くの聖なる洞窟(サンタ・コバ, Santa Cova)に隠された。880年のある土曜日の晩、羊飼いの少年たちが、上空からまばゆい光が妙なる調べとともに降りてきて、モンセラートの山腹に留まるのを目撃した。羊飼いの少年たちとその両親は、次の土曜日にも同じ光景を目にした。その土曜日毎の不思議な光景は、数週間にわたり続き、その話を伝え聞いた麓の町マンレサの司祭が立ち会い、調べたところ、洞窟から聖母像が発見された。ところが、司祭が発見された聖母像をマンレサまで降ろそうとすると、聖母像が重たくなり、どうしても動かすことができなかった。司祭は、聖母像をその地にとどめることこそ聖母の意思と考え、その地に聖母像を安置する聖堂を建立することにしたと伝えられる。
おおよそこのような伝承に基づき、9世紀末までには、モンセラートの山腹と山麓に4つの礼拝堂が献堂された。同じ頃、モンセラート山には、隠修士が多数集まって、思索と瞑想の生活を送っており、彼ら隠修士が修道院の基礎をなした。イスラム教徒からの失地回復を果たしたバルセロナ伯によって、モンセラート山とそれらの礼拝堂がカタルーニャ北部のサンタ・マリア・デ・リポイ修道院に寄進されると、1023-1027年頃、同修道院長オリヴァ(Oliva de Cerdanh)が、山腹のサン・イスクラ礼拝堂と隣接した場所に、サンタ・マリア・モンセラート修道院(以後、モンセラート修道院と略)を建立した。
やがて、聖母像をめぐる様々な奇蹟が知られるにつれ、モンセラートには多くの巡礼者が訪れるようになり、聖母マリア信仰の地モンセラートは、聖地サンチャゴ・デ・コンポステラと並びスペインの二大巡礼地に数えられるに至った。1409年に、教皇ベネディクト13世により、独立した修道院として認められたモンセラート修道院は、カタルーニャ地方の宗教文化の中心ともなり、1499年にはスペインで最初の印刷機が導入された。イエズス会の創始者イグナティウス・ロヨラ等も1522年にモンセラート修道院に滞在した記録が残されている。1592年にはバシリカ聖堂が献堂されたが、1811年、1812年のナポレオン戦争では、モンセラート修道院は要塞とされたために略奪の対象となり、修道院の建物や貴重な古文書類も、放火により、ほぼ灰燼に帰した。
現在では、修道院の庭に残るサン・イスクラ礼拝堂以外の礼拝堂は失われたが、聖母像は、ナポレオン戦争中も山内に隠されて難を逃れ、何度も修復を重ねながら、サンタ・マリア・モンセラート修道院付属大聖堂に祀られ、広く信仰を集め続けている。19世紀には、ラナシェンサと呼ばれるカタルーニャの文学・文化・政治復興運動との結びつきのもとに、モンセラート修道院が再建され、1880 年に修道院創立推定一千年祭が祝われた。1881年には、教皇レオ 13 世より、モンセラートの聖母がカタルーニャの守護聖人に加えられ、聖母像が戴冠された。
モンセラートの聖母像は、モンセラートの聖母マリア信徒団に関する1223年の記録、聖母像の発見にまつわる伝承を記した1239年の古文書の存在などもあり、実際には12世紀から13世紀頃の制作と考えられている。その黒褐色の外見から、ラ・モレネータ(la Moreneta, 黒い女の子)の愛称で親しまれているロマネスク様式の聖母像は、約95cm(38インチ)で、南フランスの聖人像がモデルとなった可能性も指摘されている。2001年に、スペイン政府が専門機関に委託して行った調査の結果、聖母像は、蝋燭の炎や煙の影響で、元来は白木地のポプラ材に施された塗料のニスが酸化し、黒褐色に変色したものと結論づけられた。この研究ではまた、聖母像の塗装が18世紀初頭の修復時を最後に行われていないことも判明している。
しかし、ケルト系の影響が残るヨーロッパ中西部などを中心に、人為的に黒く彩色された聖母子像が450体あまり存在していることもあり、モンセラートの黒い聖母子像は、エジプトのイシスなど異教の地母神信仰がキリスト教の聖母マリア信仰と一体化したものではないかとする見方も根強くある。モンセラートは、紀元前1世紀頃ケルト系民族が移動してきた土地でもあり、聖母像発見をめぐる伝承も、聖なるものは自然に宿るとして、大樹や巨岩、洞窟等を聖地として崇拝したケルトの古代信仰との関連を伺わせる要素を含んでいることは否定できない事実である。なお、モンセラートは、アーサー王の聖杯伝説に登場する地としても知られる。
本題の『モンセラートの朱い本』は、1811年のナポレオン戦争の前に、バルセロナの文学アカデミー会員であったフランスのリオー侯爵(Marquis de Lio)がモンセラート修道院から借り出していたため焼失を免れた手写本で、19 世紀に赤いベルベットの装幀が施されたことからその名で呼ばれている。『モンセラートの朱い本』は、1862年のモンセラート修道院再建から23年後の1885年、リオー侯爵の遺族の手で修道院に返還された。
現在、モンセラート修道院の図書館に保管されている『モンセラートの朱い本』は、172頁のフォリオのうち32頁分が失われており、本来、収録されていたと見られる14曲中、現存しているのは10曲のみとなっている。これら10曲からなる歌曲集に収められているのは、聖地モンセラートを世に知らしめ、モンセラートの聖母を讃える内容の歌詞を持つ宗教的な作品で、13世紀から14世紀のスペインで作曲されたと思われるが、いずれも作者は不詳である。モンセラートの聖母の奇蹟を主題とする作品は、13世紀にカスティーリャ国王アルフォンソ10世(賢王)の編纂した『聖母マリアのカンティガ集』にも、5曲が収録されているが、こちらも同じく作者不詳である。
モンセラート修道院には、13世紀に創立された、ヨーロッパ最古の少年聖歌隊のひとつエスコラニア少年聖歌隊が併設されており、現在も全寮制の修道院付属校で学ぶ少年達が典礼時に演奏活動を行っている。しかし、1399年頃に編纂されたとされる『モンセラートの朱い本』の特徴は、それが典礼用のものではなく、無名の編者が記しているように、モンセラート巡礼者たちが有名な黒い聖母像を讃え、聖堂の広場などで歌い踊るためのものであったことにある。
名高い巡礼地モンセラートには、スペインだけでなく、西欧、南欧の各地から、膨大な数の巡礼者が訪れたが、巡礼者たちは、最終目的地に到着した高揚感から聖堂やその周辺で聖地にふさわしからぬ世俗的な歌を歌ったり踊ったりする傾向があり、それが修道院側に問題視されたのである。そこで、モンセラート修道院では、巡礼者たちの歌ったり踊ったりしたいという欲求を禁じることなく、同時にまた、修道士たちの学究や祈りと瞑想の生活が巡礼者たちにより妨げられないよう、聖地にふさわしい歌曲集を編纂して、巡礼者たちがお行儀よく敬虔な歌を口ずさむことができるようにした。そのため、この歌曲集には、宗教的な詩文に、主として14世紀の民謡や世俗曲のスタイルを取り入れた、素朴で力強く、美しい旋律を持った曲が収められることになった。『モンセラートの朱い本』の収録曲にはまた、賛歌の特徴が残されているほか、アルス・ノヴァの音楽やアラブ音楽からの影響が感じ取れるといわれる。
ほとんどの歌詞はラテン語で書かれているが、一部にカタルーニャ語とオック語が用いられている。多くの曲は単旋律歌曲であるが、2声から3声の多声曲もあり、『おお、輝く聖処女よ』、『処女なる御母を讃えん』、『笏杖もて輝ける御身』の3曲は、カノンとして歌うことができる。また、『あまねき天の女王よ』、『輝ける星よ』、『七つの喜び』の3曲は、円陣を組んで踊ることを前提に作曲されたものと見られる。なお、『われら死をめざして走らん』については、イベリア半島東海岸にあるバレンシア州、モレリャのサン・フランシスコ修道院の参事会室のフレスコ画に描かれた、バレンシア語の歌詞、楽譜との一致が確認されている。
『モンセラートの朱い本』には、これまで複数の全曲録音があるが、その魅力的な歌曲のいくつかは単独でも頻繁に録音されている。


【歌詞】

◇『おお、輝く聖処女よ(O virgo splendens)』仮訳(英語訳より重訳)

O virgo splendens hic in monte celso
おお、燦然と輝ける聖処女よ、この高き山の上に
Miracuulis serrato fulgentibus ubique
輝ける奇蹟とともにいまし
Quem fideles conscendunt universi.
あまた信者の登るところなり
Eya, pietatis oculo placato
ああ、御身の慈悲深き目で見そなわし給え
Cerne ligatos fune peccatorum;
罪の縄目に捕われし者たちを
Ne infernorum ictibus graventur
彼らを地獄の苦しみにより破滅させ給うことなかれ
Sed cum beatis tua prece vocentur.
御身のとりなしによりて、祝福されし者とともにあらしめ給え


【関連動画】
◆Alla francesca: O virgo splendens


◆Alla francesca: Stella splendens in monte


◆Alla francesca: Cuncti simus


◆Alla francesca: Laudemus virginem - Splendens ceptigera


◆Alla francesca: Mariam matrem virginem


◆Alla francesca: Ad mortem festinamus



【その他の録音】
・Jordi Savall(dir.) Hesperion XX “Llibre Vermell de Montserrat. A fourteenth century pilgrimage” [VIRGIN VERITAS VER 5 61174-2] (1979)


・Ensemble Unicorn “The black Madonna-Music from Llibre Vermell & Cantigas de Santa Maria” [NAXOS 8554256](1998)

・Carles Magraner(dir.) Capella de Ministrers “Llibre Vermell de Montserrat” [LICANUS CDM-0201](2001)
・Christophe Deslignes(dir.) Choeur de chambre de Namur, Psallentes, Les Pastoureaux, Millenarium “Llibre Vermell” [RICERCAR RIC 260] (2007)


【参考リンク】
◆『モンセラートの朱い本』写本画像
http://www.lluisvives.com/servlet/SirveObras/jlv/12037282889047518532735/index.htm
◆Choral Public Domain Library (ChoralWiki)
http://www2.cpdl.org/wiki/index.php/Llibre_Vermell_de_Montserrat
『モンセラートの朱い本』を含め、合唱音楽の楽譜を無料ダウンロードできるサイト(英語)


共通テーマ:音楽

『ウエルガス写本』 [Codex]

■Codex Las Huelgas : Music from 13th Century Spain
Paul Van Nevel(dir.) Huelgas Ensemble [Sony Vivarte 53341](輸入盤)
SK53341f.JPG

【演奏】
パウル・ファン・ネーヴェル(指揮)
ウエルガス・アンサンブル

【演奏者】
ウエルガス・アンサンブルは、パウル・ファン・ネーヴェルにより、1971年に創立されたベルギーの声楽アンサンブル。その団体名は、スペインの『ウェルガス写本』に由来している。スイスのスコラ・カントルム・バジリエンシスでの結成当初は、現代音楽を専門としていたが、程なく中世、ルネサンス音楽に転じた。これまでに、ニコラ・ゴンベール(Nicolas Gombert, c.1495-c.1560)、クロード・ル・ジューヌ(Claude Le jeune, c.1530-1600)、ヨハネス・チコーニア(Johannes Ciconia, 1335-1411)、ピエール・ド・マンシクール(Pierre de Manchicourt,c.1510-1564.10.5)など多数の録音をSONY、Harmonia mundi Franceで行っており、受賞歴も数多い。

ウエルガス・アンサンブル公式サイト
http://www.huelgasensemble.be/


【曲目】
『ウエルガス写本』13世紀スペインの音楽
1. 『輝かしき血統より生まれし (Ex illustri nata prosapia)』
2. 『誰しも皆、十字架に懸からむ(Crucifigat omnes)』
3. 『おお、マリア、 海の星よ(O Maria maris stella)』
4. 『臨終の血より(Ex agone sanguinis)(器楽曲)』
5. 『あまねく知られたるベリアル(Belial vocatur)』
6. 『サンクトゥス(Sanctus)』
7. 『アニュス・デイ(Agnus Dei)』
8. 『ベネディカムス・ドミノ(Benedicamus Domino)』
9. 『南風は穏やかに吹く(Flavit auster)(器楽曲)』
10.『エーヤ・マーテル(Eya mater)』
11.『誰が我が頭を濡らすか(Quis dabit capiti)』
12.『汚れなきカトリック教徒よ(Casta catholica)』
13.『哀れなるひとよ(Homo miserabilis)』  

録音:1992年10月
ウエルガス・アンサンブル結成30周年記念ボックス[SONY 88697478442](2009)として再発売。また、アメリカのarkivmusicからreissue版も発売されている。Amazon.com(U.S.A)にも在庫があり、入手可能。

arkivmusic
http://www.arkivmusic.com/classical/main.jsp


【作品】
ウエルガス写本は、スペイン北西部のブルゴスにあるシトー派の女子修道院、ラス・ウエルガス修道院に伝わる14世紀初頭の宗教歌曲集。ウエルガス写本は、1904年にベネディクト派の修道士らにより再発見され、14世紀の『聖母マリアのカンティガ集(Cantigas de Santa Maria)』、『モンセラートの朱い本(Llibre vermell de Montserrat)』等とともに、スペイン音楽史上、重要な位置を占めている。ウエルガス写本はまた、写本がつくられたその場所で現在まで保管がなされている稀有な事例として注目される。
シトー修道会の発展からはじめて、ラス・ウエルガス修道院の成り立ちを辿ってみると、1098年に、モレームの
ロベール(Robert de Molesme, 1027-1111)は、奢侈に流れた既存の修道院のあり方に疑問を抱き、フランス、ディジョン近郊にシトー派の修道院を設立した。シトー修道会では、修道院の原点に立ち戻ることを理想に掲げ、聖ベネディクトの戒律を厳守することを第一義として、彫刻や美術による教示を含め、あらゆる虚飾を排する祈りと労働の修道生活を選んだ。シトー修道会の改革の精神は、建築様式や典礼ばかりでなく、音楽にも向けられ、グレゴリオ聖歌の源流を求めて、北フランスのメッツに写字生が派遣された。しかし、メッツから持ち帰られたグレゴリオ聖歌はシトー修道会の理想とは余りにもかけ離れたものであったことから、新たにシトー修道会の聖歌がかたちづくられることとなった。
シトー修道会は、その修道規律改革に対する広汎な支持に加え、1115年に設立されたクレルヴォー修道院の初代院長ベルナールの功績もあり、12世紀末には、ヨーロッパの各地に修道院等の拠点を500か所以上持つ大修道会へと発展していった。シトー修道会は、最盛期には、ヨーロッパ全体でおよそ1800の修道院を有したとされる。
1187年に、カスティーリャ王アルフォンソ8世(在位:1158 -1214、高貴王)により創建されたラス・ウエルガス修道院は、1199年よりシトー修道会に属し、シトー派の最も有名な女子修道院のひとつに数えられている。
ラス・ウエルガス修道院の建立されたブルゴスは、ローマ、エルサレムと並び、キリスト教の三大聖地であるサンティアゴ・デ・コンポステラの巡礼路にあたる。現在まで連綿として続いている聖地サンティアゴ・デ・コンポステラへの巡礼は、9世紀に、聖ヤコブ(スペイン語でサンティアゴ)の遺骸の埋葬地が再発見されたことに始まり、12世紀には、年間巡礼者数が50万人を超えたとされる。聖地サンティアゴ・デ・コンポステラへの巡礼は、巡礼路
沿いの教会の建立や巡礼者の宿場の整備を促進しただけでなく、12世紀のカリクトゥス写本(Codex Calixtinus)のように、初期多声音楽の発展の過程を示す重要な作品を誕生させる契機ともなった。
ラス・ウエルガス修道院は、カスティーリャ王家の庇護の下に、あらゆる税を免除され、カスティーリャ国王の戴冠式や王家の結婚式、条約の締結式等の舞台となったほか、アルフォンソ8世と王妃レオノール等王家の墓所ともなった。
『聖母マリアのカンティガ集』の編纂で名高いアルフォンソ10世(在位:1251-1282、賢王)の治世には、ラス・ウエルガス修道院は、ユダヤ教の学者やムデハル(レコンキスタ後もキリスト教への改宗を拒否し、キリスト教領土内に留まるムスリム等)も加わった一大文化拠点として栄えた。13世紀半ばには、150人近い修道女がラス・ウエルガス修道院に暮らし、女子聖歌隊もおよそ百人規模に達していたと見られる。ラス・ウエルガス修道院にはまた、プロの演奏家を招いた記録も残されている。
ウエルガス写本は、14世紀初頭に編纂された羊皮紙の手書き写本で、加筆部分を含めて、編纂に合計12人が携わっていると見られるが、フランコの記譜法(定量記譜法)に基づく筆写譜の大半は、同一人物の手によるものである。ウエルガス写本には、フアン・ロドリゲス(Johan Rodrigues, Johannes Roderici )という人物名が数か所にわたって書き込まれており、いくつかの作品の作曲者と目されているが、作品の多くは作者不詳である。ウエルガス写本には、ラス・ウエルガス修道院の典礼用に独自に作曲された作品、スペインで作曲されたと思しき郷土色の濃い作品のほか、パリから伝承したノートルダム楽派の音楽も収録されており、13世紀末の作品を中心に、12世紀末から14世紀初頭までの音楽を俯瞰することができる。
ウエルガス写本におさめられた全186曲のうち、 45曲が単旋律歌曲で、141曲が二声から四声の多声楽曲(そのうち 1曲は無伴奏)である。ウエルガス写本は、アルス・アンティクワ(古技法)の音楽を収録した最末期の写本であると同時に、スペインにおける多声宗教曲の出現を示す貴重な資料と言える。また、シトー修道会の規則で、多声楽曲が認められていなかったにも関わらず、女子修道院での演奏を目的として、修道女らが編纂したと見られるウエルガス写本において、多声楽曲が多数を占めている事実からは、シトー修道会の運営面での国・地域による違いのようなものが伺われ、興味深い。
ウエルガス写本の演奏では、女子修道院の写本という歴史的な背景を踏まえ、女声アンサンブルが演奏の中心となることもあり、清楚さ、繊細さと共に、アラブの影響を含めたスペインらしい魅力を湛えたものが多いという点で、おおむね評価の一致が見られるようである。


【歌詞】

◆『輝かしき血統より生まれし(Ex illustri nata prosapia)』仮訳(英語訳より重訳)

Ex illustri nata prosapia
輝かしき血統より生まれし
Catherina candens ut lilium
聖カタリナは純白なること百合のごとく
Sponsa Christi lux in ecclesia
キリストの婚約者にして、教会を照らす光なり
Rosa rubens propter martirium
殉教により赤く染まりたる薔薇
Virgo vernans sed viri nescia
汚れを知らぬ処女は
Pellens a te viri consorcium
あらゆる求婚を退けたり
Te rogamus ut tua gracia
我らは聖女に恩寵を希わん
Roget illum cuius imperium
我らのため祈り、取次をなし給え
Sine fine regnat in secula
永久に天地を統べ給う天主よ
Quod det nobis celi palacium.
天の宮殿を我らに開き給えと
Ex illustri nata prosapia
輝かしき血統より生まれし
Catherina candens ut lilium
聖カタリナは純白なること百合のごとく
Et nobilis dono mundicie
気高く、天賦の美貌に恵まれり
Crystallina gemma lux virginum
透き通れる宝石、処女の光
Sponsa Christi et lux ecclesie
キリストの婚約者にして、教会を照らす光なり
Rosa rubens propter martirium
殉教により赤く染まりたる薔薇
Virgo fulgens et nobilissima
輝ける処女、崇高にして
Et devincens falsa sophismata
偽りの詭弁にも打ち勝てり
Bona docens et viri nescia
善とひとの純潔を教え給い
Fit residens in Dei Gloria.
神の栄光のうちにいます


【参考動画】
◆Huelgas Ensemble:O Maria maris stella


【その他の録音】
・Brigitte Lesne(dir.) Discantus : Codex Las Huelgas [OPUS 111 30-68](現在、廃盤)

・Carles Magraner (dir.) Capella de Ministrers : MEDIEVAL POLYPHONY Feminae Vox : Códice de las Huelgas [Licanus CDM 0826](2009)

・Anonymous4 : Secret voices - Chant & Polyphony from the Las Huelgas Codex c.1300
[Harmonia mundi](2011)


【参考サイト】
◆Choral Public Domain Library
http://www2.cpdl.org/wiki/index.php/Main_Page
合唱音楽の楽譜を無料ダウンロードできるサイト(英語)。『あまねく知られたるベリアル(Belial vocatur)』など、『ウエルガス写本』収録曲の一部について、掲載あり。
◆ラス・ウエルガス・サンタ・マリア・ラ・レアル修道院画像
Cistercian Royal Abbey of Santa María la Real de Las Huelgas
http://www.paradoxplace.com/Photo%20Pages/Spain/Camino_de_Santiago/Burgos/SM_Real_Huelgas/Huelgas_Nunnery.htm

共通テーマ:音楽

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。