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『ウエルガス写本』 [Codex]

■Codex Las Huelgas : Music from 13th Century Spain
Paul Van Nevel(dir.) Huelgas Ensemble [Sony Vivarte 53341](輸入盤)
SK53341f.JPG

【演奏】
パウル・ファン・ネーヴェル(指揮)
ウエルガス・アンサンブル

【演奏者】
ウエルガス・アンサンブルは、パウル・ファン・ネーヴェルにより、1971年に創立されたベルギーの声楽アンサンブル。その団体名は、スペインの『ウェルガス写本』に由来している。スイスのスコラ・カントルム・バジリエンシスでの結成当初は、現代音楽を専門としていたが、程なく中世、ルネサンス音楽に転じた。これまでに、ニコラ・ゴンベール(Nicolas Gombert, c.1495-c.1560)、クロード・ル・ジューヌ(Claude Le jeune, c.1530-1600)、ヨハネス・チコーニア(Johannes Ciconia, 1335-1411)、ピエール・ド・マンシクール(Pierre de Manchicourt,c.1510-1564.10.5)など多数の録音をSONY、Harmonia mundi Franceで行っており、受賞歴も数多い。

ウエルガス・アンサンブル公式サイト
http://www.huelgasensemble.be/


【曲目】
『ウエルガス写本』13世紀スペインの音楽
1. 『輝かしき血統より生まれし (Ex illustri nata prosapia)』
2. 『誰しも皆、十字架に懸からむ(Crucifigat omnes)』
3. 『おお、マリア、 海の星よ(O Maria maris stella)』
4. 『臨終の血より(Ex agone sanguinis)(器楽曲)』
5. 『あまねく知られたるベリアル(Belial vocatur)』
6. 『サンクトゥス(Sanctus)』
7. 『アニュス・デイ(Agnus Dei)』
8. 『ベネディカムス・ドミノ(Benedicamus Domino)』
9. 『南風は穏やかに吹く(Flavit auster)(器楽曲)』
10.『エーヤ・マーテル(Eya mater)』
11.『誰が我が頭を濡らすか(Quis dabit capiti)』
12.『汚れなきカトリック教徒よ(Casta catholica)』
13.『哀れなるひとよ(Homo miserabilis)』  

録音:1992年10月
ウエルガス・アンサンブル結成30周年記念ボックス[SONY 88697478442](2009)として再発売。また、アメリカのarkivmusicからreissue版も発売されている。Amazon.com(U.S.A)にも在庫があり、入手可能。

arkivmusic
http://www.arkivmusic.com/classical/main.jsp


【作品】
ウエルガス写本は、スペイン北西部のブルゴスにあるシトー派の女子修道院、ラス・ウエルガス修道院に伝わる14世紀初頭の宗教歌曲集。ウエルガス写本は、1904年にベネディクト派の修道士らにより再発見され、14世紀の『聖母マリアのカンティガ集(Cantigas de Santa Maria)』、『モンセラートの朱い本(Llibre vermell de Montserrat)』等とともに、スペイン音楽史上、重要な位置を占めている。ウエルガス写本はまた、写本がつくられたその場所で現在まで保管がなされている稀有な事例として注目される。
シトー修道会の発展からはじめて、ラス・ウエルガス修道院の成り立ちを辿ってみると、1098年に、モレームの
ロベール(Robert de Molesme, 1027-1111)は、奢侈に流れた既存の修道院のあり方に疑問を抱き、フランス、ディジョン近郊にシトー派の修道院を設立した。シトー修道会では、修道院の原点に立ち戻ることを理想に掲げ、聖ベネディクトの戒律を厳守することを第一義として、彫刻や美術による教示を含め、あらゆる虚飾を排する祈りと労働の修道生活を選んだ。シトー修道会の改革の精神は、建築様式や典礼ばかりでなく、音楽にも向けられ、グレゴリオ聖歌の源流を求めて、北フランスのメッツに写字生が派遣された。しかし、メッツから持ち帰られたグレゴリオ聖歌はシトー修道会の理想とは余りにもかけ離れたものであったことから、新たにシトー修道会の聖歌がかたちづくられることとなった。
シトー修道会は、その修道規律改革に対する広汎な支持に加え、1115年に設立されたクレルヴォー修道院の初代院長ベルナールの功績もあり、12世紀末には、ヨーロッパの各地に修道院等の拠点を500か所以上持つ大修道会へと発展していった。シトー修道会は、最盛期には、ヨーロッパ全体でおよそ1800の修道院を有したとされる。
1187年に、カスティーリャ王アルフォンソ8世(在位:1158 -1214、高貴王)により創建されたラス・ウエルガス修道院は、1199年よりシトー修道会に属し、シトー派の最も有名な女子修道院のひとつに数えられている。
ラス・ウエルガス修道院の建立されたブルゴスは、ローマ、エルサレムと並び、キリスト教の三大聖地であるサンティアゴ・デ・コンポステラの巡礼路にあたる。現在まで連綿として続いている聖地サンティアゴ・デ・コンポステラへの巡礼は、9世紀に、聖ヤコブ(スペイン語でサンティアゴ)の遺骸の埋葬地が再発見されたことに始まり、12世紀には、年間巡礼者数が50万人を超えたとされる。聖地サンティアゴ・デ・コンポステラへの巡礼は、巡礼路
沿いの教会の建立や巡礼者の宿場の整備を促進しただけでなく、12世紀のカリクトゥス写本(Codex Calixtinus)のように、初期多声音楽の発展の過程を示す重要な作品を誕生させる契機ともなった。
ラス・ウエルガス修道院は、カスティーリャ王家の庇護の下に、あらゆる税を免除され、カスティーリャ国王の戴冠式や王家の結婚式、条約の締結式等の舞台となったほか、アルフォンソ8世と王妃レオノール等王家の墓所ともなった。
『聖母マリアのカンティガ集』の編纂で名高いアルフォンソ10世(在位:1251-1282、賢王)の治世には、ラス・ウエルガス修道院は、ユダヤ教の学者やムデハル(レコンキスタ後もキリスト教への改宗を拒否し、キリスト教領土内に留まるムスリム等)も加わった一大文化拠点として栄えた。13世紀半ばには、150人近い修道女がラス・ウエルガス修道院に暮らし、女子聖歌隊もおよそ百人規模に達していたと見られる。ラス・ウエルガス修道院にはまた、プロの演奏家を招いた記録も残されている。
ウエルガス写本は、14世紀初頭に編纂された羊皮紙の手書き写本で、加筆部分を含めて、編纂に合計12人が携わっていると見られるが、フランコの記譜法(定量記譜法)に基づく筆写譜の大半は、同一人物の手によるものである。ウエルガス写本には、フアン・ロドリゲス(Johan Rodrigues, Johannes Roderici )という人物名が数か所にわたって書き込まれており、いくつかの作品の作曲者と目されているが、作品の多くは作者不詳である。ウエルガス写本には、ラス・ウエルガス修道院の典礼用に独自に作曲された作品、スペインで作曲されたと思しき郷土色の濃い作品のほか、パリから伝承したノートルダム楽派の音楽も収録されており、13世紀末の作品を中心に、12世紀末から14世紀初頭までの音楽を俯瞰することができる。
ウエルガス写本におさめられた全186曲のうち、 45曲が単旋律歌曲で、141曲が二声から四声の多声楽曲(そのうち 1曲は無伴奏)である。ウエルガス写本は、アルス・アンティクワ(古技法)の音楽を収録した最末期の写本であると同時に、スペインにおける多声宗教曲の出現を示す貴重な資料と言える。また、シトー修道会の規則で、多声楽曲が認められていなかったにも関わらず、女子修道院での演奏を目的として、修道女らが編纂したと見られるウエルガス写本において、多声楽曲が多数を占めている事実からは、シトー修道会の運営面での国・地域による違いのようなものが伺われ、興味深い。
ウエルガス写本の演奏では、女子修道院の写本という歴史的な背景を踏まえ、女声アンサンブルが演奏の中心となることもあり、清楚さ、繊細さと共に、アラブの影響を含めたスペインらしい魅力を湛えたものが多いという点で、おおむね評価の一致が見られるようである。


【歌詞】

◆『輝かしき血統より生まれし(Ex illustri nata prosapia)』仮訳(英語訳より重訳)

Ex illustri nata prosapia
輝かしき血統より生まれし
Catherina candens ut lilium
聖カタリナは純白なること百合のごとく
Sponsa Christi lux in ecclesia
キリストの婚約者にして、教会を照らす光なり
Rosa rubens propter martirium
殉教により赤く染まりたる薔薇
Virgo vernans sed viri nescia
汚れを知らぬ処女は
Pellens a te viri consorcium
あらゆる求婚を退けたり
Te rogamus ut tua gracia
我らは聖女に恩寵を希わん
Roget illum cuius imperium
我らのため祈り、取次をなし給え
Sine fine regnat in secula
永久に天地を統べ給う天主よ
Quod det nobis celi palacium.
天の宮殿を我らに開き給えと
Ex illustri nata prosapia
輝かしき血統より生まれし
Catherina candens ut lilium
聖カタリナは純白なること百合のごとく
Et nobilis dono mundicie
気高く、天賦の美貌に恵まれり
Crystallina gemma lux virginum
透き通れる宝石、処女の光
Sponsa Christi et lux ecclesie
キリストの婚約者にして、教会を照らす光なり
Rosa rubens propter martirium
殉教により赤く染まりたる薔薇
Virgo fulgens et nobilissima
輝ける処女、崇高にして
Et devincens falsa sophismata
偽りの詭弁にも打ち勝てり
Bona docens et viri nescia
善とひとの純潔を教え給い
Fit residens in Dei Gloria.
神の栄光のうちにいます


【参考動画】
◆Huelgas Ensemble:O Maria maris stella


【その他の録音】
・Brigitte Lesne(dir.) Discantus : Codex Las Huelgas [OPUS 111 30-68](現在、廃盤)

・Carles Magraner (dir.) Capella de Ministrers : MEDIEVAL POLYPHONY Feminae Vox : Códice de las Huelgas [Licanus CDM 0826](2009)

・Anonymous4 : Secret voices - Chant & Polyphony from the Las Huelgas Codex c.1300
[Harmonia mundi](2011)


【参考サイト】
◆Choral Public Domain Library
http://www2.cpdl.org/wiki/index.php/Main_Page
合唱音楽の楽譜を無料ダウンロードできるサイト(英語)。『あまねく知られたるベリアル(Belial vocatur)』など、『ウエルガス写本』収録曲の一部について、掲載あり。
◆ラス・ウエルガス・サンタ・マリア・ラ・レアル修道院画像
Cistercian Royal Abbey of Santa María la Real de Las Huelgas
http://www.paradoxplace.com/Photo%20Pages/Spain/Camino_de_Santiago/Burgos/SM_Real_Huelgas/Huelgas_Nunnery.htm

共通テーマ:音楽

オケゲム『レクイエム』 [Ockeghem]

■Ockeghem: Requiem
Marcel Pérès (dir.) Ensemble Organum [Harmonia mundi HMC901441](輸入盤)
HMC901441f.JPG

【演奏】
マルセル・ペレス(指揮)
アンサンブル・オルガヌム


【演奏者】
マルセル・ペレスは、1956年7月15日、アルジェリア生まれの音楽学者、作曲家、指揮者。14歳でニースのアングリカン教会オルガニストを務め、ニースの音楽院でオルガンと作曲を学んだ後、ロンドンのRoyal School of Church Music及びカナダ、モントリオールのStudio of Ancient Musicに留学し、1979年にフランスに帰国した。
アンサンブル・オルガヌムは、1982年にペレスにより設立された中世音楽アンサンブルで、これまでにシトー修道会の聖歌やノートルダム楽派、マショー、ジョスカン・デ・プレ、オケゲム等の録音を行い、注目されている。アンサンブル・オルガヌムには、フランス人のほか、レバノンの修道女やコルシカ島の聖歌隊歌手がメンバーとして加わることもあり、多士済々である。アンサンブル・オルガヌムは、聖歌から宗教劇にレパートリーを広げ、作曲当時の演奏空間を復元する手法で演奏を行っているが、その演奏は、ときに前衛的、呪術的と評されるなど、評価面では賛否両論が見られる。アンサンブル・オルガヌムはまた、古楽界で来日公演が実現しない最後の大物アンサンブルのひとつでもある。
Harmonia mundi franceのほか、AMBROISIEなどのレーベルでも録音を行っている。


【曲目】
ヨハネス・オケゲム(Johannes Ockeghem, c.1410-1497)
『レクイエム』
録音:1992年11月、フォントヴロウ王立修道院
現在、上記盤は廃盤となり、2007年よりmusique d’abord盤[Harmonia mundi HMA1951441]として再発売。


【作曲者】
ヨハネス・オケゲム(Johannes Ockeghem, c.1410- 1497.2.6)は、フランドル楽派初期の作曲家。同時代の作曲家の多くがそうであるように、オケゲムの生涯については、謎に包まれた部分が多く残されている。
1993年に発見された17世紀初頭の文書から、オケゲムは、ベルギー、モンス近郊のサン=ギラン生まれであることが明らかになった。しかし、オケゲムの生年については、Leeman Perkins のように1410年頃とする説から、PlamenacやRiemann and Van den Borrenのように1420年頃とする説、Fétisのように1430年頃とする説など諸説があり、依然として未確定のままである。オケゲムの生年を1410年頃とする説は、オケゲムがジル・バンショワ(Gilles Binchois, c.1400-1460.9.20)追悼のモテット(『死よ、そなたは矢で傷つけてしまった(Mort tu as navré de ton dart)』)を1460年に作曲し、その一節において、バンショワの従軍歴をほのめかしていることなどから、1419年にモンスの聖ヴォードリュー教会オルガニストに就任し、1423年にリールへと移るまで在職していたバンショワが幼少期のオケゲムと師弟関係にあったとする推察に基づくものである。オケゲムの生年を1410年頃とする説はまた、フランスの宮廷詩人クレタン(Guillaume Crétin, c.1460- 1525.11.30)がオケゲムの死に寄せた詩の一節(「けしからぬことだ、彼ほどの才能の作曲家が100歳にならずして世を去らねばならぬとは」)に根拠づけられており、オケゲムが90歳から100歳という高齢で亡くなったことを前提に算出されている。
オケゲムの幼少時のエピソードなどは伝わっていないが、モンスには、当時、教会に附属した音楽教育の場が二か所あり、オケゲムは、そのいずれかで学んだのではないかと推測されている。オケゲムに関する最初の記録は、1443年6月にアントワープのノートルダム大聖堂聖歌隊員となったことを示すもので、オケゲムも当時の慣例に倣い、聖歌隊から音楽活動をスタートさせたと見られる。
オケゲムは、1446-48年の間、フランスのムーランで、ブルボン公シャルル1世に礼拝堂歌手として仕えた。1451年には、フランス国王シャルル7世(在位:1422-1461)の王室礼拝堂歌手としてオケゲムの名前が記載されており、1450年から1452年頃の間にパリに移ったと見られる。オケゲムは、1453年までに王室礼拝堂楽長職に任ぜられたが、1456年から1459年の間に、ロワール河流域の都市トゥールのサン・マルタン修道院の財務官に推され、1470年にパリのサン・ブノワ教会に転じるまでその職にあった。サン・マルタン修道院は、10世紀以来、歴代フランス国王が修道院長を務める格式の高い修道院で、その財務官の職位は、更なる経済的安定をオケゲムにもたらした。教会付き司祭の聖職給がおよそ年150から180リーヴルの時代に、オケゲムの総年収はおよそ 950リーヴルにのぼったとの推計もあり、オケゲムがフランス宮廷において、いかに厚遇を受けた音楽家であったかが伺われる。
オケゲムは、1461年7 月にシャルル7世が崩御した後も、ルイ11世(在位:1461-1483)、シャルル8世(在位:1483-1498)と三代のフランス国王に仕え、王室礼拝堂楽長として、職務を果たした。オケゲムは、1461年に、サン・マルタン修道院のトゥール在住義務から解放された後、1463年から1470年の間、パリのノートルダム大聖堂参事会員を兼務している。また、オケゲムは、1462年と 1464年にカンブレに行き、ルネサンス音楽を開拓したブルゴーニュ楽派の巨匠ギヨーム・デュファイ(Guillaume Dufay,c.1400-1474.11.27)の家を訪ねたと見られている。
1470年、オケゲムは、王室礼拝堂の歌手らとともに、フランス国王ルイ11世の外交使節団に加わり、スペインを訪れた。このときのオケゲムの使命は、作曲家としての文化交流活動のみならず、スペインを説得して、イングランドとブルゴーニュが結んだ対フランス同盟への加盟を阻止し、ギュイエンヌ公シャルル (ルイ11世の兄弟)とカスティーリャ王女イサベルの結婚の交渉をすすめることにあったとされる。
オケゲムは、1471年に宮廷に献上する音楽書の監修を行ったが、現在では完全に失われている。しかし、1472年には、音楽のパトロンとして知られたミラノ公ガレアッツォ・マリア・スフォルツァから、オケゲムに、ミラノに招聘する歌手を探してほしいという依頼の手紙が寄せられていたことが判明しており、この頃には、フランス国外にもオケゲムの名声が伝わっていたことが伺える。
1483年のルイ11世崩御後のオケゲムの動向についてはあまり知られていないが、1484年8月に再び、フランスの宮廷外交に関わり、ベルギーのブルージュとダンメを訪れた。また、1488年には、オケゲムが聖木曜日の洗足の儀式に参列したことが宮廷の記録から明らかになっている。オケゲムは、かなりの高齢で亡くなったという記録が残されていることから、晩年は引退生活を送り、遺書を作成したトゥールの地で、1497年2月6日に世を去ったと見られる。
詩人のクレタンは、「師であり良き父」であったオケゲムを追悼して、その美声と卓越した作曲技法、親切、寛大にして誠実で、敬虔な人柄などを讃えた。クレタンはまた、アレクサンダー・アグリコラ(Alexander Agricola,1446-1506)、アントワーヌ・ブリュメル(Antoine Brumel, c.1460-c.1520)、ロワぜ・コンペール(Loyset Compere, c.1450-1518)ら、当時の著名な作曲家たちに追悼を呼びかけ、ジョスカン・デ・プレ(Josquin Des Prez, c.1450/1455-1521.8.27)が、詩人ジャン・モリネ(Jean Molinet, 1435-1507.8.23)の「森の精霊たちよ(Nimphes des bois)」をテキストに『オケゲムの死を悼む挽歌 (La déploration de la mort de Johannes Ockeghem)』を作曲した。詩中にジョスカン・デ・プレ、 ブリュメル、ピエール・ド・ラ=リュー(Pierre de La Rue, c.1460-1518.11.20)、コンペールの名前が織り込まれたこの挽歌では、定旋律にグレゴリオ聖歌の死者のためのミサ曲の旋律が用いられ、哀切で美しい作品に仕上げられている。その他にも、エラスムス(Desiderius Erasmus, 1466.10.27-1536.7.2)がオケゲムに追悼詩(Ergo non con ticuit)を捧げており、後にヨハネス・ルピ(Johannes Lupi, c.1506-1539.12.20)により付曲されている。


【作品】
オケゲムは、しばしば、ギヨーム・デュファイと次世代のジョスカン・デ・プレの間で、最も重要な作曲家と見なされている。しかし、オケゲムは、失われた作品もあるとはいえ、寡作な作曲家で、現存する作品はミサ曲(10曲)及びその断章、モテット(9曲)、シャンソン(22曲)等に限られている。オケゲムの代表作としては、『ミサ・プロラツィオーヌム(Missa Prolationum)』、『ミサ・クィユヴィス・トニ(Missa cuiusvis toni)』、『レクイエム』等があげられる。オケゲムのミサ曲のほとんどは、現在ヴァチカン図書館に所蔵されているキージ写本(Chigi codex, 15世紀末から16世紀初頭に成立)により伝承されたものであるが、大半の作品については、作曲年代や作曲の背景等も未確認のままとなっている。また、ルイ11世のフランス王位継承に際して作曲されたと見られる“Resjois toi terre de France”のように、作曲様式の観点から、オケゲム作の可能性が高いとされる作品も数曲ある。
オケゲムと師弟関係にあったと見られる作曲家、アントワーヌ・ビュノワ(Antoine Busnoy, c1430-1492)は、1460年代にオケゲムに捧げるモテット(In hydraulis)を作曲し、その楽才を讃えるとともに、ピタゴラスの後継者として、その名をあげた。オケゲムは、サン・マルタン修道院の財務官を務めた経歴の持ち主だけに、数学、幾何学、天文学等にも造詣が深かったようである。オケゲムの音楽に対しては、実演に接する機会のなかった18世紀の音楽学者から、数理的だが音楽性に欠けると否定的な評価がなされたこともあるが、19世紀以降に再評価が進み、現在では、数理と音楽性が相反しないことを証明する優れた演奏が数多く登場している。
オケゲムの音楽的な特徴のひとつは、ポリフォニー各声部の旋律、リズムを自立させながら、各声部が際立つよう緻密な計算がなされていることにある。高度な作曲技法が駆使されてはいるが、実際に聴いてみて息の詰まるようなところはなく、透明感さえ感じさせるその音楽は非常に美しい。また、オケゲム自身がバス歌手として著名な存在であったことから、バスの旋律線がより複雑なものとなっていることも特徴に加えられる。
『レクイエム』とは、死者が最後の審判で罪を赦され、天国で安息を与えられるよう祈る死者のためのミサ(Missa pro Defunctis)で用いられる聖歌、または、死者のためのミサから曲想を得た楽曲を指し、死者のためのミサ曲とも訳される。レクイエムの呼び名は、その入祭唱が「永遠の安息を(Requiem eternam)」で始まることに由来している。
オケゲムの『レクイエム』は、典礼文がポリフォニーで作曲された、現存する最古の作品として有名で、George Houleによれば、1461年7月のシャルル7世の葬儀のために作曲され、1483年のルイ11世の葬儀でも演奏されたのではないかと考えられている。ただし、オケゲムが『レクイエム』を作曲した時代には、死者のためのミサの形式自体が統一されていなかったこともあり、オケゲムの作品は、現行のものとはかなり形式的に異なっている。オケゲムは、入祭唱、キリエ、昇階唱、詠唱、奉献唱に付曲しており、最上声部にグレゴリオ聖歌の旋律を原則として用い、二声から四声のポリフォニーを展開しているが、バロック以降とは反対に、感情表現や描写性を極力抑えたルネサンス期のレクイエムらしく、ある意味、深遠にして、厳格さを感じさせる作品である。


【歌詞】

オケゲム『レクイエム』(Missa pro defunctis)仮訳(英語より重訳、新共同訳他参照)

[1] Introitus(入祭唱)
Requiem eternam dona eis Domine:
主よ、永遠の安息を彼らに与え
et lux perpetua luceat eis.
絶えざる光で照らし給え
Psaume : Te decet hymnus Deus in Sion,
詩編: 神よ、シオンではあなたに賛歌が捧げられ、
et tibi reddetur votum in Jerusalem:
エルサレムでは誓いが果たされましょう
exaudi orationem meam, ad te omnis caro veniet.
我が祈りを聞き届け給え、 全ての肉体はあなたのもとにかえりましょう
Requiem eternam dona eis Domine:
主よ、永遠の安息を彼らに与え
et lux perpetua luceat eis.
絶えざる光で照らし給え

[2] Kyrie(キリエ)
Kyrie eleison.
主よ、憐れみ給え
Christe eleison.
キリストよ、憐れみ給え
Kyrie eleison.
主よ、憐れみ給え

[3]Epistola(使徒書簡朗読)[省略]

[4]Graduale (昇階唱)
Si ambulem in medio umbre mortis
たとえ死の影の谷を歩むとも
non timebo mala quoniam tu mecum es, Domine.
我は災いを恐れじ 主の我とともにいますゆえに
Verset: Virgo tua et baculus tuus ipsa me consolata sunt
唱句: あなたの鞭、あなたの杖 それが我が慰め

[5] Tractus (詠唱)
I. Sicut servus desiderat ad fontes aquarum,
涸れた谷に鹿が泉の水を求め、喘ぐように
ita desiderat anima mea ad te Deus.
神よ 我が魂はあなたを求め
II. Sitivit anima mea ad Deum vivum :
神に、命の神に、我が魂は渇く
Quando veniam et apparebo ante faciem Dei mei?
いつ御前に出て 神のご尊顔を拝せるのか
III. Fuerunt mihi lacrime mee panes die ac nocte,
昼も夜も、我が糧は涙ばかり
dum dicitur mihi per singulos dies:
ひとびとは絶えず問えり
IV. Ubi erat Deus tuus?
おまえの神はどこにいるのか、と

[6]Evangelium(福音書朗読) [省略]

[7]Offertrium(奉献唱)
Domine Iesu Christe, Rex glorie,
主イエス・キリストよ、栄光の王よ、
libera animas omnium fidelium defunctorum de pœnis inferni, et de profundo lacu :
全ての死せる信者の魂を 地獄の罰と深淵より救い給え
libera eas de ore leonis, ne absorbeat eas tartarus, ne cadant in obscurum :
彼らの魂を獅子の口より救い給え 彼らが冥府に飲み込まれぬよう、暗黒に堕ちぬように
Sed signifer sanctus Michael representet eas in lucem sanctam.
旗手、聖ミカエルが彼らの魂を聖なる光へと導きますように
Quam olim Abrahe promisisti et semini eius.
かつてあなたがアブラハムとその子孫に約束したように
Verset : Hostias et preces tibi Domine offerimus:
唱句:主よ、あなたに我らは 賛美の生け贄と祈りを捧ぐ:
tu suscipe pro animabus illis,
彼らの魂のために受け給え
quarum hodie memoriam agimus:
今日、我らが追悼するその魂のために:
fac eas, Domine, de morte transire ad vitam.  
主よ、彼らの魂を死から生へと移し給え
Quam olim Abrahe promisisti et semini eius.
かつてあなたがアブラハムとその子孫に約束したように

[8]Praefatio(叙唱) [省略]

[9] Sanctus(サンクトゥス、三聖唱)[省略]

[10]Agnus Dei(平和の賛歌、神羔唱)[省略]

[11]Communio(聖体拝領唱) [省略]

[12]Responsorium(赦祷文)[省略]


【関連動画】
◆Ensemble Organum: Ockeghem Requiem Introitus



【その他の録音】
・Paul Hillier(dir.) Hilliard Ensemble : J.Ockeghem: Missa pro Defunctis, Missa Mimi, etc
 [Virgin Classics VBS6284922]


・Edward Wickham(dir.) The Clerks’ Group : Johannes Ockeghem Requiem, Missa Fors Seulement etc.
[ASV CD GAU 168]

・Bo Holten(dir.) Musica Ficta : Ockeghem Requiem, MissaProlationum, Intermerata Dei Mater
[NAXOS]

・Paul Hillier(dir.) Ars Nova Copenhagen : Ockeghem Missa Pro Defunctis, Sørensen, B. Fragments of Requiem [Dacapo 6220571](2012)
*BBC Music Magazine Choral & Song Choice 2012

・Stratton Bull(dir.) Capella Pratensis : Ockghem, De La Rue Requiem [Challenge Classics 72541](2012)



【参考文献等】
◆LEEMAN L. PERKINS, “Ockeghem [Okeghem, Hocquegam, Okegus etc.], Jean de [Johannes, Jehan]” 
(資料出所: http://www.law-guy.com/dummygod/Entries/S20248.htm)


【参考サイト】
◆Choral Public Domain Library 
 http://www2.cpdl.org/wiki/index.php/Main_Page
 オケゲム『レクイエム』を含む、合唱音楽の楽譜を無料ダウンロードできるサイト(英語)
◆Requiem Survey
 http://www.requiemsurvey.org/
 レクイエム(死者のためのミサ曲)に関するデータベース(英語)


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